真夜中に口笛が聞こえる
◇第一章 白い物件
 その日、信一郎は妻の美咲と一緒だった。近くに分譲されたモデルハウスを見に、歩いて現地まで向かった。

 散歩がてらに出発したのだが、たわいのない会話をしているうちに、迷うこともなく、無事、分譲地までたどり着いた。

 早速、二人は期待を膨らませ、売り出している区画へと入っていく。


 心地好い春の晴天だった。小鳥たちのさえずりさえ、二人の背中を後押しする。

 街からそう遠くもなく、閑静な丘の上に建てられた真っさらな家々は、それほど裕福でもなく、貧乏でもなく、コツコツと真面目に貯金をしてきた夫婦にとって、思いのほか魅力的に映った。

「いいわね。見晴らしも良くって。駅にも近いし」

 モデルハウスの庭から街を見下ろす風景に、美咲は目を細める。

「そうだな。ここなら僕の通勤も、今と変わらないぐらいかな」

「近くにスーパーがあるわ。郵便局も近いし。それにここなら、美佳の学校の校区内でもあるから、転校手続きも必要ないわね」

 美佳は小学生になってまだ間もない。二人の間に生まれた、たった一人の娘である。
 今日は近くに住む祖母に連れられて、買い物に出掛けていた。

「転校は避けたいよな。折角、お友達も出来た頃だと思うし」

「そういえば、確か信ちゃんは、引っ越しばかりして育ってきたんだよね?」

「そうさ。親の都合とはいえ、子供としては辛かったよ」

 信一郎の父は、大手機械メーカーに勤めるサラリーマンであった。
 メンテナンスマンであった父は、得意先のある営業所を転々とし、その度に家族は引っ越しを余儀なくされた。

 そんな経験をした信一郎は、出来る限り、娘の美佳に同じ思いをさせまいと思っていた。
< 8 / 96 >

この作品をシェア

pagetop