廓にて〜ある出征兵士と女郎の一夜〜
しかしながら、大陸打通作戦において、既に昭和十九年十二月十日には、
日本軍はとうとう2400キロにおよぶ大陸打通を成功させているのである。
途中にある二ヶ所の米軍の飛行場は、日本の制空権を奪われないように日本軍が占領。
(実質には米軍が用済みと結論付けて二ヶ所の飛行場は米軍自ら取り壊し、そこから既に撤退していたと言われている。
同じ頃、サイパン島が陥落したため、日本本土の空襲はサイパン島から飛び立つB29が主体となっていた。
これにより、実質日本の制空権は米軍に奪われたのである)
大陸では日本軍の圧勝という情報が悟たち漢口にいる日本人には伝えられていた。
飛行場を二ヶ所も占領したので空襲もないだろうとタカを括っていた矢先の大空襲であった。
四川省 成都から飛び立った爆撃機はその年の六月に北九州市を火の海にしている。
成都からの攻撃は、北九州までが限界であったようだ。