廓にて〜ある出征兵士と女郎の一夜〜
漢口の空襲の際、悟は工場の防空壕に影をひそめていた。
コンクリート造りの小さい防空壕が工場に何個か存在したが、
どこも逃げてくる人たちですし詰め状態である。
日本軍は漢口の民間人の防空壕への立ち入りを拒否した。
工員はもちろん、幼子を連れた女や老人もである。
みなたどたどしい日本語で入れてくれと懇願している。
悟は一人、耳を塞いだ。
防空壕に入れなかった者たちは、ごうごうと燃え盛る火の中を、きっと逃げまどっているに違いない。
熱い、熱い
そう言いながら、先祖代々守ってきた土地をさ迷っているのだろう。
他国の兵隊に荒らされ、収穫を横取りされ、
田畑を奪われ……
さぞ虚しかろう。
明日は我が身である。
『大丈夫か?落ち着け』
ある工員から水筒を渡され、『飲め』と言われた。
『飲んだら少しは気がおさまる』
工員はすすだらけの顔でニヤリと笑った。
例を言って口に含むと、質の悪い酒である。
悟は吹き出しそうになったが、動転しそうな気を落ち着けるためにゴクリと飲み干した。
『酔っぱらってたら、火の回りが早くて人より早く楽になれるかもしれねえな』
工員は悟から取り返した水筒に口をつけ、ゴクゴクと酒をのんでいた。