狡猾な王子様
どれくらいの時間が経ったのだろう。


随分とハンドルに額を預けていたような気がするけど、たぶんほんの数分ほどのことだったのだと思う。


ゆっくりと顔を上げた私は、左肘がダウンジャケットの左ポケットの辺りに触れた瞬間、布を隔てた中にある感触にハッとした。


角ばった、少し固い物。


ハンドルを掴んでいた左手をそっとポケットに入れ、指先でその感触を確かめるように触れる。


そのまま深呼吸をひとつすれば、不安と恐怖に怯んでいた心の強張りが僅かに緩んだような気がして……。


「行かなきゃ」


自分自身に言い聞かせるように呟き、ブレーキを踏んでいた足から少しずつ力を抜いた。


ゆっくりと動き出す、車。


スピーカーから流れている曲は、奇しくも男性アーティストの応援ソングだった。


それから木漏れ日亭の駐車場に車を停めるまでは一分も掛からず、ちょうどラストのサビに入ったばかりだった応援ソングを最後までしっかりと聴いてからエンジンを切ると、再び深呼吸をしてから外に出た。

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