上司のヒミツと私のウソ
「久しぶりだな。いよいよギブアップか?」

 完全に裏の状態だ。私は金網に背をあずけたまま、硬直した。

 矢神は、ここにいるのが私ひとりだと思っている。私と安田は北側のスペースにいて、貯水槽の陰になっている安田の姿は矢神の位置からは見えていない。


 私はどうしていいかわからずに横目で安田を見た。

 安田は先刻と同じ姿勢で貯水槽の下に座っている。吸っていた煙草を静かに揉み消すと、ゆっくり人差し指を口元にあて、首を横に振る。


「ギブアップなんてしてません」


 状況を整理できないまま、とりあえず会話を続けることにした。考えている余裕はなかった。矢神がこのままなにもいわずに立ち去ってくれることを祈った。


「俺が見ていないとおもって、影でこそこそ吸ってるんじゃないだろうな。どうせばれるんだから、今のうちに白状しろよ」

「私はなにも隠してませんから」

「妙にひっかかかるな、そのいい方」

「別に。もう話しかけないでください。せっかく気分良く午後の仕事にとりかかろうとおもっていたのに、課長が来たら天気まで怪しくなってきました」

 事実、さっきまで晴れていた空が曇り始めている。厚い灰色の雲が見る間に陽射しを遮り、屋上の日だまりは瞬時に消えた。
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