上司のヒミツと私のウソ
 そういった安田の顔はもう赤くはなくて、いつもの憎たらしい薄笑いに変わっている。

「別に」

 私は即座に踵を返し、安田を置き去りにして階段を降り始めた。


 四か月付き合っていて、プロポーズまでされた。なのに矢神のマンションの部屋に入ったことがないなんて──ドアの前で追い返されたなんて、口が裂けてもいえないとおもった。


 矢神の部屋で一晩を過ごした安田に(なにもなかったとしても)嫉妬しているとは、死んでもいえない。


「やっぱ気になるんだ」

 安田のからかうような声が追ってくる。


「西森はいつから知ってたの、課長の二重人格。付き合う前? 付き合い始めてから?」

「別れたあと」

「……え?」


 安田が横に並び、私の顔を覗き込むように見る。


「ほんとに? 付き合ってるときに気づかなかったの? ありえないでしょ、普通。二人きりのときどういう会話してたの?」

 安田はしつこい。私は足を速め、ほとんど駆け降りるようにして階段を降りる。


「よく続いてたね、お互いに猫かぶったままで。信じらんない」

 私は黙って階段を降り続ける。二人のヒールの音が静かな非常階段に響き渡る。
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