上司のヒミツと私のウソ
 矢神は黙っていた。私は早足で廊下を突き抜け、エレベーターを待たずに非常階段を駆け降りた。また矢神が追いかけてきたらどうしようかとおもったけれど、彼は追いかけてこなかった。


 たったあれだけのやりとりで、なぜこんなに動揺するのかわからなかった。頭の中は混乱して整理がつかない状態で、わけもわからず涙が出てくる。その動転ぶりに自分でも可笑しくなるほどだ。

 自分がここまで弱い人間だとはおもわなかった。それとも、だからこそ別人を装って生きるような情けない生き方しかできなかったのだろうか。


 でも矢神に対しては、それもできない。

 もうどうすればいいかわからなかった。





 土曜の午後、ミサコちゃんから電話があった。

 近いうちに実家に顔を出すようにという、私の両親からの伝言を伝えるためだ。

 なぜミサコちゃんからなのかというと、私と実家の両親との連絡には、いつもミサコちゃんが間に入ることになっているからだ。私も両親も互いに直接相手に電話をかけることはなく、連絡を取りたいときはミサコちゃんに伝言を頼む。
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