上司のヒミツと私のウソ
 懸命に頭の中から追い出そうとするけれど、いくら追い払っても、しつこくあの人物の姿が浮かび上がってくる。

 矢神と同じ顔で、同じ声を持つ、同じ背格好の人物。


 唯一違うのは、冷酷そうな微笑と……右腕。


 彼は弟に会いにきたといっていたけれど、あのようすでは、とても会いたがっていたようには見えない。

 矢神にしたってそうだ。


 夕方、矢神が席を立ったのを見計らって、安田が「なんかあったの」と小声で聞いてくる。いつものことながら安田は鋭い。

 べつになにも、と私はそつなく答えてしらばっくれた。


 現段階で安田にいえることは憶測以外なにもなかったし、それに安田は明日から台湾旅行に出かける。

 そのせいで今日は朝から浮き足立っていて、準備があるから早めに退社すると公言していたのだ。時計を見るととっくに定時を過ぎている。

 私が「帰っていいよ」というと、安田はまだ気になるふうではあったけれど、やはり明日からの旅行のことで頭がいっぱいなのだろう。いそいそと帰り支度をして「お先に」と退室した。
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