上司のヒミツと私のウソ
「難しいことじゃないでしょう。彼が高望みさえしなければ、あなたたちの仲は続いていたはずですから。弟には今の生活を続けてもらいます。仕事も結婚も、この程度が彼には分相応です」


 私は立ち上がった。


「あなたの期待には応えられません。失礼します」


 驚いているウエイターを無視してフロアを横切り、足早に店を出た。


 焼けつくような陽射しに晒され、私は人通りのない路地を闇雲に歩き出す。

 方向はまるでわからなかったけれど、とにかくその場所から離れたかった。

 十メートルも歩かないうちに、ベンツが横に停まった。


「家まで送りますよ」


 後部座席の窓から彼が声をかけてきた。

 私は歩調をゆるめることなく「結構です」といった。

 ベンツは速度を落としながらついてくる。

 十字路に出ると否応なく私の足は止まる。どちらに行けばいいのかわからない。


「意地を張らないで。それに、この陽射しでは日焼けしてしまいますよ」

 私は諦めて車に乗り込んだ。彼は満足そうにほほえんでいる。
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