上司のヒミツと私のウソ
「俺の部屋の前」

 うなるような低い声で、「私、前に来たことがある」と西森はいう。


「バレンタインの日」

「……ああ」

「ものすごく冷たく追い返されて、ショックだった」


 西森の声が、すうっと沈むように小さくなる。

「誕生日……だったのに」


「そうだってな。あとで安田から聞いた。悪かったな」

 背中に、顔が押しつけられるのがわかった。


「鍵を出すから右手、離すぞ。落ちるなよ」

「うん」


 うなずくと同時に、西森の両腕が後ろからやんわりしがみついてくる。

 西森は風邪をひくと素直になるんだな、と感心することで気をそらそうとした。


 今さらながら、なりゆきで西森を自宅に連れ帰ってしまった自分が恨めしい。


 胸の底で無理やり押さえこまれた厄介な感情が、隙を狙ってうろうろしている。暴動を起こさないよう、くれぐれも気をつけなくてはならない。前科があるのでなおさらだ。

 右手でポケットを探り、家の鍵をとり出して鍵穴につっこむ。
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