上司のヒミツと私のウソ
 本人の留守中にうろうろするのは気が引けたけれど、洗面所を借りて顔だけ洗う。手持ちの化粧道具でささっと化粧をすませ、髪を整える。

 リビングの窓を閉め、追い立てられるように部屋を出ようと玄関に揃えられているパンプスに足を入れたとき、目の前のドアでがちゃがちゃと鍵穴に鍵が差しこまれる音がした。


 心臓が止まりそうだった。


 矢神がもどってきたのだとおもい、あわてふためく。どんな顔をすればいいのかわからない。

 だけど、開いた扉の向こうに立っていたのは、矢神ではなかった。


「あれっ」

 彼女は大きく澄んだ目を見開いて、グロスの光るふくよかな唇に細い指を当てた。

「えーと、あなたは?」


 明るい、鈴を転がすような声で問うと、彼女はドアを閉めて中に入ってきた。広くはない玄関に、ふたりで向き合う形になった。

 近くで見ると、溜息が出るほどきめの細かい、薄い肌をしている。
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