上司のヒミツと私のウソ
 バッグを押しのけたとたん、示し合わせたように電話が鳴った。

 着信画面に矢神の名前が表示される。そのままやり過ごすと、留守電に切り替わった。


 しばらくしてまた着信音が鳴る。


 あの日──彼女から逃げるように矢神のマンションを出たあとも、私はこうして何度も矢神からかかってきた電話を無視した。

 五分後に安田からかかってきた。ソファベッドに寝ころんだまま出ると、「いまどこ?」と戸惑いぎみの声で聞かれる。


「家だけど」

「ちゃんと帰れたの?」

「うん」

「だったらいいけど」


 がさがさした雑音の向こうで、安田が誰かに「大丈夫みたい」といっているのが聞こえた。電話の近くでくぐもった声が行き交っている。誰かと話しているらしい。


「二日酔いしたくなかったら寝る前に水をたらふく飲め……って、矢神課長が」

 安田の声の向こうに矢神がいるとおもうと、さっき別れたばかりなのにまた会いたくなった。
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