三十路で初恋、仕切り直します。

「千恵ちゃん。この程度のことでいちいち気にしないの。嫌味ならこれからもどうせたくさん言われるわよ?」


大河原の心無い言葉によくトイレでこっそり泣いていた自分と今の千恵とを重ねて見ながら、あえてやさしくではなく冷淡なくらいの口調で言っていた。


「どうせ千恵ちゃんがどんなに頑張っても陰口叩くのがあの人の生き甲斐なんだから。だったらいちいち真に受けてないで受け流すことを覚えたほうが楽なんじゃない?」
「嫌味だけじゃありませんッ!……あのおばさん、現場に出ないでのんびりしてるほど暇なら、こっちの業務手伝えって言ってきて」

「……業務を手伝え?」


思わず耳を疑う。千恵は膝の上で拳を握り締めながら言った。


「今日、もうすぐこの工場に本社の営業さんが来ることになったから、食堂案内して、一緒に昼食食べろって……」
「……わかった。わたしも一緒に行ってあげるから」

「それだけじゃなくてッ。その営業さんたち、工場見学したいって言うから、工場内の案内もしろって」
「新人の千恵ちゃんが?!」


無茶ぶりにも程がある。

まだ自分が担当するラインを覚えるだけで精一杯の彼女に工場全体の案内など出来るはずもない。だいたい内部の人だろうと外部の人だろうと、お客様の対応をするのは内務室の庶務課の仕事だ。

工場内に熟知した現場の作業員に案内役が割り当てられることがあっても、生産管理課の人間に任されるなんて聞いたこともない。


今の泰菜だったら大河原に話を振られたその場で即座にきっぱり『無理』とか『生産管理課の管轄じゃない』と断れただろう。けれど仕事の勝手がまだわかっていない千恵は断っても大丈夫な話なのかそうじゃないのかの判断すらつかなかったのだろう。

もちろん大河原はそれも見越して、泰菜でも他の生産管理課の人間にでもなく新人の千恵に話を振ってきたのだ。



「……相原さんの所為ですよ、相原さんが勝手にあたしから現場の仕事取り上げるから、余計な仕事まで押し付けられちゃうんですよっ、どうしてくれるんですかっ」


千恵は半パニックで泣き出す。本来なら他課に仕事を割り振るにしても、泰菜たち生産管理課の課長から了解を得てからのはずなのに、こんな日に限って課長は出張で席を外している。

大河原が工場長の血縁で同期だということで、彼女が勝手なふるまいをしても生産管理課の課員たちが誰も表立って彼女を諌められずにいるのも頭の痛い問題だった。



「……相原さんのせいでっ……」
「千恵ちゃん。少なくともわめいてたってしょうがないことくらいわかるでしょう」


きっぱり言う。

すると千恵が驚いたように目を見張った後、涙がこぼれる寸前くらいに目を潤ませる。ちょっと厳しく言い過ぎたかしら、と苦く思う。でもこれから千恵の代わりに自分に降りかかるだろう面倒を考えれば許されるのではないかと言い訳しながら、千恵のお腹をちらりと見て心の中だけで「ごめんね」と言うと。


「……ちょっと待ってなさい」


一度外したヘルメットを再び装着して再び事務所を飛び出した。






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