三十路で初恋、仕切り直します。
結婚してほしいなどとは言わない。
ただもう一度だけ、もうすこしだけでも法資に歩み寄るチャンスが欲しいと思う。
「たーちゃん……」
顔を覆って泣きだす泰菜に、津田が気遣わしげな声を掛けてくる。
「……たーちゃんは桃木が好き?」
訊かれても頷くことも返事をすることも出来ない。法資のことが好きかどうかなんてやっぱり分からない。
法資は憎たらしくて意地悪で、今まで本気で腹が立つこともうんざりさせられたこともあった。でも努力家で自慢の幼馴染で、いつも思わぬタイミングで泰菜にやさしさを示してくれた。
ちいさな頃から法資との間に積み上げてきた感情を、好きか嫌いかだなんてそんな簡単な言葉でなんか言い表せない。でもそう思う一方、自分が法資に抱く複雑に込み入った感情は、単純で懐の広いその言葉以外では言い表せないとも思う。
「……わたし……法資に会いたい……」
涙と一緒に意地や虚勢が流れ落ちていった今、本心で思うのはそのことだけだった。頭上でやさしく笑う声がする。
「うん、会えるよ」
津田がそう答えるか答えないか、というときだった。
近所の舗装されていない砂利道を猛スピードで走る車の音がしたかと思ったら、次の瞬間には庭先に停めた泰菜の車の後続に一台のタクシーがぶつかるような勢いで突っ込んできた。
突然ことで何事かと涙でじんじんする目を暗がりに向けて、タクシーから飛び出てきたひとを見て絶句する。外灯の明かりもぼんやりとしか届かないのに、高い上背のその人が誰であるのかすぐに分かった。
「……ほうすけ……?」
呆然と呟く泰菜に、上着も着ていないシャツ姿の法資が大股に近寄ってくる。ポーチライトの明かりに照らし出されたその顔は泰菜の顔を見て一瞬ほっとした表情を浮かべるも、頬を濡らす涙に気付いたためかすぐに険しくなった。
「泰菜、おまえ」
法資はそこで言葉を詰まらせ、傍らに立つ津田に気付くと張り倒さんばかりに詰め寄った。
「津田……てめぇ泰菜に何したんだっ」
乱暴に胸倉に掴み掛かる法資とは対照的に、どこか余裕すら感じさせる笑みを浮かべながら津田は降参するように諸手を挙げた。
「わー、桃木ってばもう来ちゃったんだ。悪いことは出来ないねえ」
「ふざけんなッ……あんな電話寄越しておいてッ」
法資の腕がぎりぎりと津田の胸元を捻りあげていく。
「おっ、ちょ、桃木、苦しいって」
「黙れ馬鹿。確かにおまえに『尽くし甲斐のない嫁となんかとさっさと別れて別の女にしろ』って言ったのは俺だけどな。だからって泰菜にしろだなんて一言も言ってねぇんだよッ」
「……津田くん!」
法資に突飛ばされて津田がその場に尻餅を付く。思わず助け起こそうとその場に膝を付くと、津田に寄り添う泰菜を法資は心底苦々しそうな顔で見下ろしてきた。
「法資?なんで……?いきなりどうしたの?乱暴なことはしないで」
「……この馬鹿。そんな下心男に泣かされておいて何庇ってんだよおまえ。不倫の餌食にでもされたかったのか」
「ふ、不倫?何言ってるのよ」
「こいつがおまえに手を出そうとしてきて、だからおまえ泣いてたんだろ」
それが心底許しがたいことのように法資が言う。ちがうよ、と掠れた声で、でもはっきりと否定した。
「そんな。本当にちがうよ、津田くんの所為で泣いてたんじゃないよ」
法資が目を眇める。だったらどうしてだとその目が問う。
なんでおまえは泣いてるんだと。
答えないでしばらくその目を見詰める。見詰めるうちにまた涙がこぼれてしまう。
--------法資がいる。
--------目の前に、手を伸ばせる触れることが出来る距離にいる。
ただそれだけのことで胸が痛くて苦しくなって涙がとめどなく流れてしまう。
「……泰菜」
気遣わしげにやさしく自分の名を呼ぶ声に、いっそう涙がこぼれてしまう。