三十路で初恋、仕切り直します。

「……法資はわたしにどうしろって言うのよ?美人でも可愛くもないのに、『行かないで』なんてわたしが言えるわけないじゃない。そんなこと言った後でまた法資に冷たくあしらわれるだけかもしれないのに」



好きだと言われれば、うれしいに決まっている。

それでも今まで何度も法資に傷つけられた泰菜の心は、簡単にその言葉を喜べずにいる。法資のことでもう二度と傷つきたくないと疑って、心のどこかがしこりのように固く凝っているのだ。



「だいたい何よ、わたしのこと馬鹿だブスだ鬱陶しいとまで言って、それで好きって言われても意味わからない」
「……そう言う他に思い付かないんだよ。気にしたくもないのにいちいちお前のことが気になってたガキの頃の、苛々しておまえに自分の頭の中ぐちゃぐちゃにされるような感覚はさ」


淡々と喋る法資の声が、夜の玄関に静かに響く。


「たぶん自分でも薄々気付いてたから余計におまえに腹立ってたんだよ。……おまえがずっと気にしてた、無理やりおまえにキスしたのだって」



その頃の思いを反芻するように、言いかけたまましばらく法資は黙り込む。



「意地が悪くて悪かったな。今更ガキの頃の感情を引き摺るなんて思わなかったから、つい横柄な態度になった。俺だっていつもいつも余裕顔でいるわけじゃないんだよ」

「……法資は本当にわたしのことが好きなの?」


これで訊くのは最後になるならと、気持ちを奮い立たせて訊いてみた。余裕がなくなるのは本当に自分の所為なのか確かめたかった。

法資はどんな感情を抱えているのかもわからない声で、


「……だな」


とだけ答える。



「じゃあなんで……好きって言ってくれたあとにそんなあっさりわたしから離れていこうとするのよ。そうやって突き放されたらやっぱり法資は本気じゃないかもしれないって……またからかわれているだけかもしれないって不安になるでしょ。……法資の言うこと信じたくても信じられなくなるよ」

「おまえは俺の言ったこと信じたいのか?」
「だから。だからそうだって言ってるでしょ!」
「泰菜。……それだと俺に気があるって言ってるように聞こえる」


法資はなお背中を向けたまま意地悪く言ってくる。分かっているならわざわざ訊くな馬鹿、と心で罵倒しながら法資にとうとうその言葉を言ってやった。


「そうよ。……好きよ、好きで悪かったわねっ」


なんて可愛げのない。

おまけにおかしくなった涙腺からは涙がこぼれているし、鼻までずるずる出てしまっている。ようやく泰菜の方へ振り返った法資が泰菜の顔を見て苦笑する。


「不細工面で悪かったわね」


法資相手だといちいち喧嘩腰になってしまうことに内心戸惑いながら言うと、法資はいきなり抱きついてきた。どんなリアクションも出来ずに固まっているうちに、法資は大きな両手でがっちり掴んだ泰菜の体を抱え上げた。


「ひゃっ、な、なにっ」


土間に立つ法資と上り框にいる泰菜に一メートル近くの段差がある所為もあって、簡単に肩に担がれてしまう。

「ちょっと、何で?!下ろしてよっ」

泰菜を抱えたままやすやすと段差を乗り越えて再び家に上がり込むと、法資は折角甘いような切ないような気分になっていた雰囲気をぶち壊すようなことを言ってきた。


「さてと。とりあえずおまえの気が変わらないうちにすることしておくか」



いくら思い合って見詰め合ってという純情な年頃でないにしても、なんて即物的な。


それに抱えて運ぶにしても、こんな酔いつぶれた同僚を抱えるようなやり方じゃなくて、もっと女子が喜ぶようなやり方があるはずなのに。泰菜だって本気でこの歳でお姫さま抱っこなどして欲しいわけではないけれど、「恋人」と思い定めた相手にするにしては、これはあまりにもあまりな抱え方だ。


法資の肩にぶらさがったまま唖然としてると、法資は愉快そうに言った。


「俺が悪いんじゃないからな。優柔不断なおまえは追い詰められないと結論を出せない女だから、俺がそれを酌んで逃げられないようにしてやってるんだよ」





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