デジタルな君にアナログな刻を
大変な思いをして開店した新しい『薗部時計店』に、働く父の姿はなかった。

利き目である右目が緑内障に罹り、時計師として仕事をすることが難しくなったためである。

もっと早くに眼科に行っていれば、というのは、家族も本人も数え切れないほど思った。だがいくら後悔したところで狭まってしまった視界を取り戻すことはできず、進行を緩やかにするのがやっとという現状。

時計店の開店準備にかまけていたせいで、時計師を諦めなければならなくなったというのは何という皮肉だろうか。

初めのうちは気の毒に思い腫れ物に触るような扱いをしていたが、あまりに落ち込んでいる様子を見せつけられ続けていれば、徐々に鬱陶しさの方が上回ってくる。

「しばらく時計から離れて、水平線でも眺めてくれば?」と薦めてみた。
それに母も賛成し、無事開店を見届けると、両親は暖かい海辺の町へと住まいを移した。

考えてみれば初めての独り暮らし。それでもコンビニはすぐそこにあるし、駅前には飲食店も昔に比べてぐっと増えた。
ときどき二階のテナントに入った立河さんがやってきて愚痴を聞かされたり、商店街のご長老たちが長々と無駄話をしていくくらいで、これといって不自由のない気ままな暮らしを満喫する。

残念なことに予想通り開店早々閑古鳥に住み着かれたので、『趣味』に費やす時間はたっぷりあった。

祖父の遺した時計たちの手入れを自分のできる範囲でしたり、ネットオークションに出品される世界中のアンティーク時計を見て回ったり。

なにに力を入れて、なにを省くのか。取捨選択はすべて己に委ねられている。
自分の好きなことを自分のペースでできることの幸せを噛みしめていた。


すっかり自堕落な生活が染みついたある日の午後。
店の前に停まった黒塗りの外国車に、ため息をつく。
運転手が恭しげに開けたドアからまず出てきたのは、名門お嬢様学校の制服を着た百音ちゃん。その後に、ゆっくりと和服の顕義さん。

ガラス越しに店内の僕をみつけた百音ちゃんが、手を振りながら自動ドアをくぐってきた。

「こんにちは!哲ちゃん」

「こんにちは、いらっしゃい。学校の帰り?」

「そう。お祖母さまの病院にも寄ってきたの。思ったよりお元気そうだった」

入退院を繰り返している祖母を見舞ってきた、という彼女の声の明るさに一安心する。

お茶を三つ淹れて戻ってくると、顕義おじさんはもうソファーにどっかりと腰を下ろし、百音ちゃんは店内の時計を見て回っていた。

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