デジタルな君にアナログな刻を
「おはよう、円(まどか)ちゃん」

「おはようございます。店長。また今日も遅刻ですよ」

ここの店主である哲(さとし)さんだ。
10時開店なのに、このビルの上階に住んでいるこの人はほぼ毎日遅れてやってくる。
今日はまだ早い方。わたしが勤め始めた頃は、何度も開かないドアの前で待ちぼうけを食らっていた。
いい加減我慢ができなくなった今では、わたしが合い鍵を預かり、店を開ける準備をしている。

「でもさ。滅多にお客さんなんかこないんだから、別に時間通りに開けなくてもいいじゃない。その辺はテキトーに……」

のんきな口ぶりでもぞもぞと手を動かしているのは、ネクタイを結んでいるから。ようやく手を離したと思ったら、なぜか片結びができあがっていた。

どうしてこの人はっ!

「そういうわけにはいきません」

わたしはいつものように店長の正面に立つと、手を伸ばしてネクタイを引っ張る。といっても、別に首を絞めようとしているわけじゃない。

「もし、外で開店を待っていたお客様がいらしたらどうするんですか? たとえそれが、年に一度、あるかどうかということだったとしても、そのたった一回で信用を失うこともあるんですよ?」

我ながら説教くさいと思う。だけど、このいい加減さには、この時計店に勤め始めて半年たった今でも慣れないし、慣れようとも思わない。
わたしは店長のネクタイを結び直しながら、もう何回目になるかもわからない注意をした。

「ごめんね、ありがとう。いつもながら上手だね」

「店長がへたっぴすぎるんです。30歳過ぎたいい大人が、ネクタイもまともに結べないなんて信じられません」

頭上斜め上からおなかに響く低音でお礼を言われれば、毎度のことながら口と一緒に心臓の動きが速くなる。

180センチ以上はあるすらりとした長身に、きちんと締めたタイと襟付きのベスト。細身のスーツのジャケットは店内ではあまり羽織らず、バックヤードにかけてある。アイロンの効いたワイシャツの袖は、シャツガーターで留めて作業の邪魔にならないようにしていた。

袖口からのぞく手首には、時計店の店長なのに腕時計がないのはどうしてなのだろう?
そう思って前に訊いてみたら、ベストからポケットにつながるチェーンの先についていた懐中時計を見せてくれた。





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