デジタルな君にアナログな刻を
寒風に晒されてもスッキリしない混乱した頭のまま自転車をこぎ、怠い足で市営住宅の狭くて急な階段を4階まで一段一段上る。エレベーター、まだつけてくれないのかなあ。

重たい玄関ドアを開けた途端に身を包んだ、ふわっと暖かい空気と煮物の匂いが、やっと意識を現実に戻してくれた。

「おかえりなさい」

台所に立つ母の声が聞こえる。それに「ただいま」と応えて、荷物を置き洗面所でうがいと手洗いを済ませると、戻ってくる頃にはもうテーブルの上に夕飯が用意されていた。
ほかほかと湯気を上げるご飯とお味噌汁は、冷え切っていた身体を温めてくれる。今日が、母親が半休の土曜日で良かった。平日だと、自分が作らなければならない可能性の方が高かったから。

もう母と弟は夕飯を済ませていたらしい。配膳を終えた母が、向かいの席についてのんびり番茶を飲み始めた。

母が夕食を作ると、ついこの間まで成長期だった弟仕様がまだ抜けず、けっこうこってりとしたメニューが並ぶことが多い。今晩は、油淋鶏と挽肉たっぷりな麻婆豆腐、里芋や人参、コンニャクなどの煮物。茶系の地味な食卓だけど、ボリュームは十分だ。

油淋鶏の下でしなしなになったレタスをもしゃもしゃと食べていたら、襖が開いて弟が顔を出した。

「姉ちゃん!今朝、目覚ましが鳴らなくて遅刻しそうになった」

シンプルな四角いアナログの目覚まし時計を、ドンッとテーブルに置く。わたしが高校時代から使っていたもののお下がりだった。

「もう寿命なのかなあ。電池は取り替えてみた?」

「知らねぇよ。だって、単2電池なんて、みつからなかったし」

鶏肉を一切れ手掴みで口に入れる。身体ばっかり大きくなったけど、まだまだ高校生……というか中学生みたいな弟に呆れた。
あー、確かにその買い置きはなかったかも。最後にお味噌汁を飲みきって、ごちそうさまと手を合わせると、母がわたしの湯飲みにお茶を入れてくれた。

「明日、買い物に行くついでに買ってくるね」

「別にいいよ。携帯のアラームもあるから」

弟は言い捨ててお風呂場へ行ってしまう。置き去りにされた目覚まし時計の裏のフタを開けると、最後はいつ取り替えたかも忘れてしまった乾電池が2本入っている。買い忘れないようにしないと……。

「買い物はどこへ行くの?お母さんも一緒に行こうかな」

携帯にメモを入力しようとしていた手が止まった。

「悪いけど、明日はひとりじゃないの」

「そうなんだあ。もしかして、デート?」

急に目を輝かせ母は身を乗り出してくるけど、残念ながらご期待には添えそうもない。

「違うよ。仕事の関係で店長と」

「仕事って時計屋さんの?店長さんって、いくつだっけ?」

まだなにかを期待しているようだけど。

「十歳くらい上。それに、趣味を仕事にしているような人だから、問題外だし」

携帯の画面に視線を戻すわたしのちょっとキツくなってしまった言い方に、母が困ったような顔をするのがわかった。
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