デジタルな君にアナログな刻を
さすがに店長、休みの日にまでスーツじゃないよね?私服って、見たことないや。

引き出しを開け、モスグリーンのふんわりモヘアのニットを出したり、去年友達と行ったセールで買ったままの膝丈ワンピを身体に当てたりしていたら、「いってきまーす」の声と玄関ドアの開閉音が聞こえて我に返る。

なにしてんの、わたし。今日はデートなんかじゃないって自分で言ったよね。

動き易さを第一に考え、ライトブルーのざっくりニットにデニムを合わせ、仕事に行くよりも更にカジュアルなものにした。

髪もメイクもいつも通り。洗面台の鏡に映ったのは、可もなく不可もない、やっと浮腫みの引いた顔。強いて言えば、子どもみたいに黒目がちな眼と薄くて小さめの唇が特徴かな。広いおでこを隠すために左に流した重めの前髪をいじくってみても、顔の造りは変わりようがない。
ああ、店長のあの柔らかそうな髪が羨ましい。

束ねた毛先を恨めしく見ていると、携帯の着信音がこたつのある部屋から聞こえてきた。

「電話が鳴ってるよ」

急いで取りに戻ったら、振動しながら鳴り続ける携帯を母がほいっと手渡してくれる。表示は『店長』。

「もしもし。おはようございます」

一呼吸おいてから出ると、当たり前だけどすぐ耳元で響く低い声。

『円ちゃん?おはよう。バス通りに車を停めているから、支度ができたらおいで』

「え、もうですか?」

壁の時計はまだ10時47分を過ぎたところ。しかもこの時計は、あの日から5分進んだままだ。店長のことだから、きっと遅れるだろうとふんでいたのに。
携帯を耳に当てながら部屋の中を歩き回り、急いで支度を調える。

『うん。テキトーに出てきたら、思ったより早く着いちゃって。だからゆっくりでいいよ。ちゃんと待ってるから』

電話の向こうにへにゃりと崩れる笑顔が浮かんでとくんと心臓が鳴ったのは、きっと雇い主を待たしてしまっているという罪悪感。

通話の切れた携帯をショルダーバッグに入れ、ネイビーのダッフルコートを着た。スニーカーを履いて最後にもう一度、下駄箱の上にある鏡で前髪をチェックする。

「いってらっしゃい。気をつけてね」

わざわざ見送りに出てきた母の顔が、若干にやけているのはなんでだろう。

「いってきます」

後ろを振り返らずにドアを閉めると、一気に階段を駆け下りた。
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