デジタルな君にアナログな刻を
「薗部さん。お待ちしていたのにいらっしゃらないから、こちらからお迎えに来てしまいました」

彼女の言葉に驚き店長を振り返ると、苦笑いで前髪をかき上げる。現れた瞳が恥ずかしそうに彷徨った。

「浅見さん。約束の時間からまだ20分も経ってないですよ?そんなに急かさなくても、僕は逃げたりしません」

「だって、とても楽しみにしていたのよ。さあ、早く行きましょう」

おっとりとした見た目に反して急かす浅見さんを待たせ、店長はジャケットを取りに裏へ行くとものの数秒で戻ってきた。

「そんなに時間はかからないと思うけど3時は……無理かな。テキトーにお茶にしてて。なにかあったら携帯に電話をしてもらって構わないから」

店長がいなくて困ったことなんて、今まで一度だってない。

「大丈夫です。……いってらっしゃい」

一見無地かと見間違えそうなチャコールのグレンチェックのジャケットに袖を通した店長は、いつものワイシャツにベストの姿より落ち着いて見える。相変わらずネクタイは少し緩められているけれど、不思議なことにだらしなさを感じない。
そして、そんな彼と浅見さんが並んだ姿はとても自然で。照れくさそうに微笑む彼の横顔が窓の外を通り過ぎても、しばらくその場を動くことができなかった。

すっかり忘れていた。ワイドショーや週刊誌を毎日賑わせているのは『芸能人の熱愛報道』だってことを。
あんなプライベートなどない生活を送る彼らだって、忙しい合間を縫って恋をしているのだから、いつ平民の店長にその機会が訪れてもおかしくなかったのだ。

わたしはショーケースの天板に突っ伏す。やっぱり、陰からひっそりと見守ることなんてできるはずがない。だって、話しかければ応えが返ってくるし、その気になって手を伸ばせば触れられる距離にいるのだから。見ているだけでは、本当に幸せな気持ちになんてなれない。

こっちを見て。その手をこっちに伸ばして。

身勝手にもそう願ってしまう。

この際、転職覚悟で告白してみようか。人生初の告白に黒星をつけることになるけれど、いつまでももやもやとした想いを抱えたままではいたくない。

ひんやりと冷たいガラスが、頬の熱を奪っていく。ここを辞めたらどうしよう。次が決まるまで、また真美子さんのところで雇ってくれないかなあ。

ゆるりと顔を上げてみれば、ガラスにはくっきりと顔拓がファンデーションと皮脂で作られていた。
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