デジタルな君にアナログな刻を
鬱々としていた気持ちがちょっとだけ紛らわされると、現金なもので空腹を覚える。わたしもだけれど、店長もまだ夕食は食べていないはずだ。

「夕飯はどうします?コンビニでよければ行ってきますけど。なにが食べたいですか」

お伺いを立ててみる。痛み止めの薬を飲むにしても、なにか胃に入れてからの方がいい。彼が自炊をしているという話は聞いたことがないし、もししていたとしても片手では難しそうだ。

「ああ。あとでテキトーに食べるからいいよ。それより円ちゃんは早く帰ろう。もうこんな時間だ」

店の時計で時刻を確認した店長はカップを机に戻し、左袖は通さず肩に引っかけていただけのジャケットからお財布を出した。動かし難い左手の指先を添え、右手でお札を引き抜く。それだけの動作にもかなりの時間を使わなければならない。

「遅くなってしまってごめん。今夜はタクシーを使って。本当は僕が送っていきたいけれど、この手で運転してなにかあったらいけないから」

そんなことを言われても、差し出された一万円札を受け取る手はもちろん前に出せるはずはない。

「まだ平気です。大学生の時だってもっと遅く帰ったこともありますし。それより、お手伝いできることはありませんか」

またしても居残りを主張するわたしに少し首を傾け、店長はひとつため息をつく。

「円ちゃんのせいで怪我をしたわけじゃない。だからそんなに気にしないで」

「でも片手ではいろいろと不自由ですよね。せめて今夜くらいは……。そうだ!おうちの方でできることはありませんか?ちゃんとした料理を作るのは、今からでは無理だけど」

「ちょ、ちょっと待って」

「多少散らかっていても気にしません。弟の汚部屋で慣れてますし。なんなら、ついでに片付けましょうか?」

あたふたと焦った顔を向けられたけれど、このままなにもしないで帰るのは嫌だった。自分でも役に立てそうなことを探して思考を巡らせる。

「その手だとお風呂掃除とかも難しそうですね。でもしばらく湯船に浸からない方がいいんでしたっけ。あ、髪を洗うの大変そう。お手伝いしましょうか?弟が小さかった時はよく洗ってやってたんです」

柔らかそうな猫っ毛が、いつもよりペタンとなっている髪。『こうそくクン』を被っていたのだから、そのまま寝るのは嫌だろう。そう思っての提案だったのだけれど。

「円ちゃん、待って。自分がなにを言っているのかわかってる?」

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