愛し君に花の名を捧ぐ
 気づけば、季節はすっかり夏。
 頂に万年雪を冠する雷珠山から吹き下ろされる風のおかげで、うだるような暑さは避けられているが、それでも日中は屋内にいてもじわりと汗が滲む。

 連日の厳しい所作指導に若干辟易し始めてきたリーリュアは、後宮の敷地を散策したいと願い出てみた。

「葆の后妃は、滅多なことでは邸の外へ出ないものです」

「深窓の令嬢だって庭の散策くらいするでしょう? 陽に当たらないと身体が弱ってしまうわ」

 リーリュアには房《へや》を飛び出そうとした前科がある。颯璉は渋々ながら、供から離れないこと、あまり遠くへ行かないことを条件に許可を出した。

 付き添いの侍女は名を丹紅珠《たん こうしゅ》といい、リーリュアよりも少し若い。思悠宮にいる侍女の中で最も年下で、豊かな黒髪が美しい控え目な娘だ。

 そういえばあのとき、屋根に登ると気概をみせたのは意外にも彼女だった。もしかしたら、本質は肝の据わった娘なのかもしれない。年の近さもあり、リーリュアとしてはこの機会にぜひ彼女との仲を深めたかった。

「ねえ、紅珠。わたくしの髪の色はおかしいと思う? 正直に言ってみてちょうだい」

 足を緩め、ニ歩分離れてついてきていた彼女に並ぶ。俯きがちに歩いていた紅珠は、突然真横から掛けられた声に驚き後ろにさがる。その分だけまた、リーリュアが間を詰めた。

「あなたたちとは違う色のこの瞳が怖い?」

 紅珠の顔を覗き込めば、びくりと肩を跳ね上げ顔を背けられてしまう。

「……そう」

 自分から訊ねたこととはいえ、さすがにここまであからさまな態度で示されては気も沈む。リーリュアは紅珠に背を向け、再び後宮の庭を歩き始めた。

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