愛し君に花の名を捧ぐ
 颯璉を筆頭に、この宮の者たちは頻繁に起こる雷に対し平然としている。

「いちいち怖がっていたら、永菻《ここ》には住めませんよ」などといわれてしまったら、びくびくしてなどいられない。リーリュアは、どうにかこれまで気を張り恐怖と戦っていた。

 ところが、今夜の雷雨の前ではその虚勢を保つことは不可能で。かといって皆に泣きつくこともできずに、じっとひとりで耐えていたのだ。

「落ちることはないと聞いていたのに」

 だれに聞かせるでもなく涙声で弱音を漏らせば、震える背中に腕が回され、頭は大きな手で抱えられた。

「それはすまなかったな。止むまでこうしているから、許せ」

 耳も目も覆うように、苑輝の腕の中に閉じ込められる。途端に目に突き刺さる眩しい光も、心臓が止まりそうな轟もリーリュアには届かなくなった。
 代わりに聞こえてきたのは、自分のものよりも穏やかに刻まれる苑輝の鼓動。それに合わせるように、リーリュアの心臓も落ち着きを取り戻し始める。 


 やがて雨音も収まってきた。

「西姫の国には雷はないのか?」

 嵐が去った室内の静けさを苑輝が破る。

「あります。ありますけれど、こんなに激しいのは初めてで」

 途端に子どもじみた行動が恥ずかしくなり、言い訳して苑輝から離れようとするが、腕の力は弱まることがない。リーリュアの気持ちを宥めるように片手はゆっくりと優しく金の髪を梳く。

「ではいつも、あのようにひとりで耐えていたのか」

 苑輝が寝具が乱れる寝台に痛ましげな視線を向けるので、リーリュアは肩口に額を押しつけ顔を紅くする。

「アザロフの城ではいつも、母や姉や……キールが傍にいてくれました」

 頭を撫でていた苑輝の手が、不意に止まった。

「あの従者は、剛燕のところを出ていったらしいな。ともに国へ帰らなくてよかったのか?」

「無事に帰ってくれているといいのですが……。何度も言わせないでください。わたくしの家はここです」

 ふっと、吐息がリーリュアの耳元を掠める。

「雨漏りするこの宮が? 雷にさえ雛鳥のように震えているというのに」

 揶揄を含んだ声に、リーリュアは頬を膨らませた顔をあげ苑輝を睨め付けた。

「わたくしはここが、この宮が好きですわ。静かだし空気は清涼。アザロフの山にいるようで。雷だって……慣れてみせます! ええ、たぶん、きっと」

 勢いに乗っていた言葉は尻すぼみになり、最後は眉も下がる。すると苑輝から忍び笑いが聞こえ、手は再び髪を撫でる。

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