強引専務の身代わりフィアンセ
 時計を確認すると午後十時前。私は気分を変えるためにも、母に電話を入れることにした。今日の業務報告だ。

 母はすぐに電話に出てくれて、仕事内容よりも、エキスポやホテルのことを興味深そうに聞いてきた。そのことにどこか気が和らぐ。

 雑談も交えながら母と会話していると、電話の向こうで父が「ちゃんと部屋は別なんだろうな?」と声を出しているのが聞こえ、私は苦笑して現状を伝えた。

 違う意味で間違いを起こしてしまった気がするけど。

 電話を終えた後で、両腕を上に思いっきり伸ばした。そのままソファにごろんと横になる。両親と会話したことで、気持ちは大分、落ち着くことができた。

 今日のことは忘れよう。明日の朝、専務と顔を合わせたら、なにもなかったかのように振る舞わなくては。今は彼が依頼者なんだから、関係の悪化は仕事に響く。私はちゃんと美弥さんの代わりを務めなくては。

 ぎゅっと握り拳を作って心の中で誓った。そこで左手の薬指に光る指輪が目に入る。さっきはなにを思ったのか、この指輪だけ返しそびれてしまったのだ。もちろん入浴中ははずしたけれど。

「今は、私が専務の婚約者、なんだよね」

 ぽつりと呟いた独り言は宙に消える。少し早いけど、今日はもう休もう。瞼を閉じようとした、そのときだった。コンコンと部屋にノック音が響き、急いで体を起こす。

「ど、どうぞ」

 しばし迷ってから私は返事する。すると見つめていたドアがゆっくりと開かれた。

「起こしたか?」

 部屋に顔を出したのはもちろん専務だった。ガウンではなくシャツを着ていたけど、髪が少し濡れているのを見ると、時間的にもシャワーを浴びてきたようだ。私は静かにかぶりを振る。
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