北向き納戸 間借り猫の亡霊 Ⅰ
 つぶやいた凛乃は、店員にガッツポーズをして見せた。店員の誉め言葉は耳に残らなかったけれど、それを聞いて喜ぶ凛乃の弾む声は耳をくすぐる。
 店員がスラックスの裾の長さ調整にかがみこむと、凛乃は店内を指さした。
「わたしちょっとネクタイ見繕ってきますね」
「ネクタイも?」
 凛乃はにっこりほほえんで、スキップするようにスーツのジャングルに消えた。足元を店員にホールドされている状態では、追いかけることもできない。もとのTシャツとデニムに着替えたころに戻った凛乃の手には、リボンをつけられた包みが覗く紙袋があった。
 そんなつもりでつきあわせたんじゃないのに。という顔をしてしまっていたらしく、凛乃も困ったように説明した。
「エプロンのお礼です。それに、昨日行った面接、手応えあったんですよ。再就職の前祝、のお裾分けですから」
「……うん」
 上機嫌の根っこはそれだったのか。
 いまだに、凛乃がよそで働くというと不安がよぎる。それですぐに家を出て二度と会えない、と決まったわけじゃないのに、焦りばかり募る。
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