北向き納戸 間借り猫の亡霊 Ⅰ
「累さんって、わりとよく謝りますよね。プライドが邪魔して謝れない男のひといるのに」
「適当に言ってるわけじゃない。悪いと思えば謝るだけ。勝ち負けじゃないし」
「はい。でも気に病まないでいいんですよ、こうして新しいスーツ、選ばせてくれるんですから」
「スーツが好き?」
「だから事務員やってたみたいなもんですからね」
「じゃあいまの職場は満足できないね」
「累さんが毎日スーツ着てくれるなら満足です」
「自宅でスーツって……」
 やっとスーツ屋を出て、どこへ行くともいわずに並んで歩きだした。新鮮な位置関係に、累の胸がうずいた。
 向かい合わせで凛乃の顔を眺めているのは好きだけど、手を伸ばしてはいけない緊張感と距離が、いまだ歴然とある。凛乃の左側には、その肩や腰に手を伸ばしてもいいような、境界のごまかしがある。
< 178 / 233 >

この作品をシェア

pagetop