北向き納戸 間借り猫の亡霊 Ⅰ
「食べて帰ろう」
 涙をこすりつけるように、凛乃は激しく首を振った。
「帰りたいです」
 無力感が、左腕を重く凍らせる。凛乃の両手はだらりと下がったままで、累にすがろうともしていない。
「わかった」
 そう言うしかなかった。
 男がなにを意図して凛乃に声をかけたのかは、わからない。自分が口を挟んだのが正解だったのかも、わからない。ただ、凛乃があれ以上会話しなくて済んだことや、自分自身が不快に思ったということを男に知らしめることができたのは、せめてもの救いだ。
 そうでも思わなければ、累はただの部外者になってしまう。いま自分よりもあの男のほうが凛乃の心を占めているという状況が、悔しい。
 反対にある下りエスカレータに向かおうとすると、凛乃が腕をすり抜けた。
「申し訳ありませんが、先に帰らせてください。累さんは、スーツを」
 明日また来るから。そう言ってついて行こうとしたけれど、凛乃は逃げるように離れていってしまった。
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