北向き納戸 間借り猫の亡霊 Ⅰ
 気力を振り絞ってスマートフォンを取り上げて、なにもせずに枕元に戻す。教えてもらった連絡先は、結局一度も使わずにいる。ほとんどの時間を累から半径10m以内で過ごしていて、離れているときにどうしても話をしなければならない事態は、ついに訪れなかった。
 これからそれが、あるのかな。
 明日出ていくと言ったとき、「わかった」と答えた累が表情ひとつ変えなかったことが、じわじわと思考を食い破る。自分から言い出したことなのに、顧みられなくて落ち込む自分が情けない。
 亡霊でもいいから、わたしがホントに猫だったらよかった。
 頭を振って、枕元のサンドタイマーに手を伸ばす。ガラスの表面には、やっぱり小さくヒビが入っていた。不燃ゴミの日まで置いておくつもりだったけど、それより早く出て行くことになってしまった。持っていくしかない。
 着替えでくるんでスーツケースにしまってから、また取り出した。一度ヒビが入ってしまったものは、軽い衝撃でも完全に割れてしまいそうだ。
 凛乃は化粧ポーチからネイル補修用の接着剤を取り出した。ネイルなんて数か月してないけど、入れっぱなしにしておいてよかった。
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