◇水嶺のフィラメント◇
「あたし……此処にいるのも、外へ出るのも……本当は怖い、の」

「え? あ……」

 寂しそうに消えゆく小さな声に、ふと迷宮から引き戻された。

 メティアの視界に入ったアンの眼差しは、自分の足先を見詰めるように俯いていた。

 ずっと沈んだ気持ちを此処まではどうにか抑えてきただけなのかも知れない。

 突如として不安や戸惑いを露わにしたような王女の様子に、メティアも思わず二の句を途切れさせる。

「この空間の不思議なところは距離感だけじゃないの。時間もそう……此処で何時間を過ごしても、地上に戻った時には一秒も進んでいなかった……まるで時が止まったように。……だから」

「だから……?」

 メティアはたった一度、気持ちを切り替えるように大きく深呼吸をして、もはや驚くことなどやめてしまおうと決意した。

 いちいち驚いては身がもたないと思ったことと、驚いていてはアンの深層が汲み取れないと感じたからだ。

 この摩訶不思議な空間にいることも、此処から出ていくことも怖いとアンは言う。

 一刻も早くレインの元へと駆けつけたい想いで選んだ道を、どうして(おそ)れる理由があるというのだろう?


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