堅物王太子殿下に恋の手ほどきを 投獄から始まる王宮溺愛生活
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「あの者を捕らえよ!余は呪いの魔術をかけられた!!」

 低音のよく響く声が大勢の民の集まる広場に響き渡り、サファイヤブルーに輝く瞳が、鋭く射抜くようにこちらを見つめている。 
 
(えっ?何?何が起こったの??)

 その瞳の持ち主に献上する手筈になっていた焼き菓子入りの籠を抱え、アリアはパチパチと目を瞬いた。 


◇◇◇


「王太子殿下が視察にやってくる」

 その知らせがこの田舎町に届いたのはつい一か月前のことだった。
 オトワール国の王太子、フランツ殿下と言えばお世継ぎなのにも拘わらず、めったに人前に姿を見せない変わり者と噂される人物だ。どうやら部屋に引き篭ってはありとあらゆる書籍を読み耽り、学問に傾倒する毎日らしい。

 そんな御方が一体どうしてこんな田舎にやってこようというのだろう。高貴な御方の考えることなど庶民にはさっぱりわからない。

「それでもせっかくお越しいただけるのだから」

 気まぐれともとれる突然の意向に住民一同は面食らうが、できる限りのおもてなしをしようと決意する。そして一致団結して準備を進め、遂に視察のその日はやってきた。
 急ごしらえながらも美しく舗装し直したメインストリートでは、王太子御一行が通る度に歓喜の声が沸き起こる。あちこちでは色とりどりの紙吹雪が舞い、青空には白い鳥が飛びバルーンが揺れ、ファンファーレが鳴り響く。
 街は王太子を歓迎するムード一緒に包まれており、行程もスケジュール通り滞りなく進んでいる。
 全てが順調。全てが完璧。
 ……そのはずだというのに。

(なんとまあ、随分とつまらなそうな顔をしてるじゃない)

 菓子店の売り子のアリアは、王太子のその態度を面白くなく眺めていた。

(もうちょっとさ、楽しそうな顔でもしてあげたらいいんじゃないの?)

 王家の証である黄金色に輝く御髪に、神秘の泉の水面のように深く澄んだ青い瞳。それを覆う銀縁眼鏡すら美しさを際立たせるアクセントだ。
 まるで名工が作った陶磁器のように整った王太子殿下の麗しきその姿は、あんな様子でないのならばうっとりと見惚れてしまうものなのだろう。
 けれどそんな気持ちよりも、今はどうにも腹立たしい思いが勝ってしまう。

 そう。急な提案を打診してきたというのに、この王太子ときたらどこを見るにも誰と話そうにも、この視察の間「全く興味がない」とばかりに無表情を貫き通しているのだった。

(ジョゼットさんは殿下に食べて頂ける!といつも以上に丁寧に焼き菓子を作ったのに。パン屋のスコットさんも、鍛冶屋のマリオさんも、みんな自分の店の自慢の品を殿下に見て頂きたくて張り切っていたっていうのに)

 商店の皆だけではない。学校の子供らも王太子を歓迎しようと合唱の練習を頑張っていたし、役人達も街の魅力をできる限り伝えられるようこの一か月、四方に忙しく飛び回っていたらしいと店の客から伝え聞いていた。

「王太子殿下は娼館なんかには足をお運びになったりしないかねぇ?いらしていただけるのならば沢山サービスしちゃうのにな」

 アリアの住む安アパートの隣人の娼婦のルイーザまでも何処か楽しそうにそんな軽口を口にする。ともにかくにも町中王太子の訪問を心待ちにしていたというのに、その態度はいくら高貴な御方といえども失礼ではないのだろうか。アリアはブスッと頬を膨らませる。

 もともとアリアはこの町で生まれ育ったわけではない。
 母親と共にこの片田舎にやって来たのは10年前のことである。市井の人々の多くがヘーゼル色を帯びたの髪と瞳であるこの国において、鮮やな深紅の髪色と緑の瞳のアリア母子は異質の存在だった。
 明らかにこの国の人間ではないその風貌。
 物心がつく前から彼方此方の地を転々としていたアリア達がその日々に終わりを告げることが出来たのは、余計な詮索をせずに二人を迎え入れてくれた、おおらかなこの町の住民たちのおかげだった。

 そして数年前に母親が病に倒れ、天涯孤独になったアリアが悲しみから立ち直ることが出来たのもまた「困ったことがあったらなんでもいいな!」と声をかけてくれた、隣人のルイーザを始めとした周囲が支えてくれたからだった。

(大体さあ、この町に興味が無いならなんで視察に来ようと思ったのかって話よね。皆殿下に喜んでもらいたい一心で、色々準備してたっていうのに……全くほんとになんなのよ!!)

 じろじろと無遠慮に視線を向けていると、そんな攻撃的な眼差しに気が付いたとでもいうのだろうか。ふと王太子がこちらに気づいた素振りを見せた。

 パチンと視線がぶつかりあう。

(やっばい、目があっちゃった!?)

 慌てて向き出しにしていた敵意を引っ込める。
 その代わりとばかりにへらりと取り繕うように微笑んで見せると、王太子は驚いたように目を見開いて、サッとその美しい顔を朱に染めた。
 けれどもそんな表情をしたのは一瞬のことだった。そのすぐ後に、苦し気に眉を顰ませた王太子は胸を押さえると……
 その身を捩らせながら、ドサリと地面へと崩れ落ちたのだった。

(えっ?何?何が起こったの??)

 目の前で起きた突然の出来事に、アリア思わず息を呑んだ。
 それは広場にいた人々も同じようで、一体どうしたのかと心配する声はさざ波のように広がり始め、辺りは不穏な空気が漂ってくる。

 ざわつく周囲を片手で制すると、王太子はふらつく体で立ち上がり、従者に支えられながらゆっくりと態勢を整える。そして大きく息を吸い込むと、射抜くような強い瞳でアリアを見つめて指をさした。

「あの者を捕らえよ!余は呪いの魔術をかけられた!!」

 低音のよく響く声が広場に響く。それと同時に護衛の騎士が、一斉にアリアの元へと押し寄せた。
  
◇◇◇

 青く澄んだ空に、ぽっかりと雲が浮かんでいる。

(窓の向こうはこんなにのどかなのに――)
 
 ガタガタと揺れる荷馬車の隅で、アリアはぼんやりと外を眺めていた。
 両手両足は縄で縛られ、一丁裏だった筈の服も精一杯のお化粧を施した頬も土埃まみれ。長時間の移動のせいで強張った身体もそろそろ限界に近かった。
 
「まあ、あんたも災難だったとは思うけどね。こっちも殿下のご命令だから仕方なくってさ」

 もぞもぞと身動ぎをするアリアに、隣に座った若い騎士が困った様子で肩を竦める。

「あの、でしたら縄だけでも解いてもらえませんか?」 
「あーそれはだめだね。だってあんた、縄を解いたらまた逃げようとするだろう?」

 呆れたような騎士の視線にぐっと言葉を詰まらせる。休憩する度に脱走を試みてはその都度すぐに捕らえられる。確かにそんな事を何回も繰り返していたのはアリアである。けれどこちらにも言い分はあるのだ。
 何が何だかわからないままに捉えられて連行されたのでは逃げたくなるのも当然だろう。
 
「まあもうすぐ王城につくし、そうしたら直ぐ自由になるんじゃないのかい?ほら外を見てみなよ」 

 騎士の指が示した先に見えたのは、太陽の日差しに輝く白亜の美しい建物。この国の中心となる、オトワール国の王城の姿だった。
 繊細な彫刻が施された華美な門扉――を横目に、石塀沿いの道を進み、荷馬車は重厚な鉄扉をくぐる。そしてアリアが降ろされた場所は先程窓から見えた建物の華麗さの欠片も見当たらない殺風景な場所、王城を守る要なる騎士団が控える詰め所だった。
 
◇◇◇
 
 地下へと続く暗がりの中、コツンコツンと足音が大きく鳴り響く。
  
「あの、直ぐに自由になるんじゃなかったんでしたっけ?」
「いやー悪いね。よくわからないんだけど、そういう指示なもんでさ」

 騎士に連れられたアリアが長い階段を降りていくと、そこには鉄格子が嵌められた空室がずらりと並んだ見たこともない光景が広がっていた。
 
「――やれやれ。あんたもまだ若いって言うのに城の地下牢行きだなんて、一体何をやらかしんだい?」

 壁に灯された松明だけが頼りの薄暗さの中、年老いた看守がその中の一つ、錆び付いた鉄格子の扉を開ける。

(何をしたのかって、そりゃこっちが知りたいわよ)

 背後の騎士に視線を向けると、騎士は明後日の方へと目を逸らす。
 
「……では、あとは宜しく頼む」

 仕方なく中に入ったアリアを見届けた騎士は、それきりこちらに視線を向けることも無く足早に階段を登って去っていく。
 
(用事が済んだらさっさと帰っていくのね)

 その気持ちはわからないでもないけれど。
 アリアはぐるりと牢の中を見渡した。硬そうな壁や床はしっとりと濡れ、空気もひんやりとして肌寒い。人気(ひとけ)も少ないこんな所は、居心地が良いとは決して言えないだろう。
 
 静寂の中、天井から水滴がポタリと垂れる音が響く。暫く黙り込んでいたアリアだったが、堪らず「あの」と口を開いた。

「ここはどういう人が入る場所なんですか?」
「嬢ちゃん、あんたここに入る意味を知らないのかい?」

 驚いたような口調で看守は、アリアの頭から爪先まで注意深く視線を這わせる。
 
「ここはね、重罪を犯した罪人が入るところだよ。この後尋問されたりしてな、裁きの沙汰を待つんだよ」
「で、でも、ここには見たところ私しか居ないみたいですけど?」
「そりゃそうさ。この国でそこまでひどい重罪を犯した奴なんて、ここ何十年もいないんだから。今更連れて寄越されてもこっちだって困るっていうのに……ほんとにあんた、可愛い顔をして何を仕出かしたんだい?」

 面倒くさそうに顔を歪める看守の言葉に、ジワジワと恐怖心が込み上げてくる。

「そんな……」
  
 真っ青な顔で力無く床に座り込むアリアを一瞥すると、それきり看守は自分の定位置であるテーブルがある場所へと戻っていく。
 
(どうして……なんで、こんなことになっちやったの――?)
  
 アリアは顔を突っ伏すと、道中何度も脳裏に浮かんだあの広場での出来事を再び思い出した――。

◇◇◇
  
 あの広場で発した王太子の一言に、騎士達はあっという間にアリアを取り囲むと、容赦なく縄で締め上げた。

「アリアちゃん?!」
「おい、何かの間違いだろう?離してやってくれよ」

 驚く町の人々からは、次々にどよめく声があがる。
 勿論間違いに決まっている。そう言いたくても、身動ぎ一つ許されない。抵抗する暇すらないままに地面にごろりと横倒しにされた。

「滞在はここまでとする!」

 居住まいを正すと同時にそう宣言した王太子は、騒然とするその場を余所にさっさと馬車に乗り込んだ。そして最後に窓からほんの少し顔を出すと、アリアに向けて指を差した。
 
「その者は城に連れ帰って尋問を致すことにする」

 次の号令が出るや否や、アリアは荷馬車の隅に投げ込まれた。そしてそのまま何日も王太子一行と共に移動を続け、遂には地下牢へとぶち込まれたという訳だった。

(王族とは、目を合わせただけで重罰の対処になっちゃうの???)

 そんな話は聞いたことがない。けれどもしかしたら自分が知らないだけかもしれない。

(そういや……捕まえられた時、呪いだとか魔術だとか言ってたけど……?)

 あの言葉は、恐らくアリアに向けられたものだろう。
 けれど、魔術なんてものはおとぎ話のものだ。ましてや呪いなんてものも、生まれてこの方見たことも聞いたこともない。
 万が一……もし仮に魔術があるのだとしたとしても、それはアリアには無関係の話。全く預かりしれない領域だった。

(あれ?……と、言うことは…私、もしかして殿下の勘違いで捕まってる?)

 だとしたらこうしてはいられない。とんだ濡れ衣で牢に入れられ、これから恐ろしい尋問されてしまうかもしれないって?そんなことはまっぴらごめんだ。
 アリアは勢いよく立ち上がると、大きく息を吸い込んだ。

「ちょっと――!私、何もやってませーん!!人違いで――す!」

 ガチャガチャと格子戸を揺さぶってありったけの大声を出す。

「お、おい!急になんだっ?騒ぐな!大人しくしておくれ!」

 慌てふためく看守の制止を振り切って、アリアは更に声を張り上げる。

「すみませ――ん!!私、無実で――す!」
「こ、こらっ!」

 格子から伸びる腕をすり抜けては叫ぶ。そんな攻防を何度も繰り返していると、騒ぎを聞きつけたのだろうか階上から慌ただしく階段を駆け降りる足音が聞こえてきた。
 次は何が起きるのだろう。咄嗟に身構え前を見つめる。すると急ぎ足で鉄格子へと近づいてきたのは、こんな場所には相応しくないような、豪奢な服を身に纏った若い男だった。

◇◇◇

「うちの殿下がほんっっっとうに大変申し訳ない事をしたね」

 平謝りに謝る男から牢から出され、連れてこられたのは豪華な貴賓室だった。

「申し遅れたけど、僕の名前はシャルル・ユーロ。フランツ殿下の従者なんだ」

 男の役職を聞いて、アリアはビクリと肩を震わせる。 

「あの、私、殿下に何もしていませんよ?」
「勿論それはわかっているよ。呪いだなんて言ったんだって?それは全てあいつの勘違いなんだよ。しかもか弱い女性をあんな地下牢に入れるだなんて、一体何を考えてるんだか」

 淡い茶色の髪をくしゃくしゃに掻き毟る男は深く深く息を吐くと、改めてアリアの方へと目を走らせる。
 
「とりあえず……服を用意するから着替えようか?お風呂の準備もしてあるから、さっぱりしておいでよ」
「え?あの……?」

 何が何やらわからないままに薔薇の花の浮いた広い湯船へと連行されると、そのまま王室侍女によって身体の隅から隅まで磨き上げられる。
 そして湯上がりの身体がすっかり落ち着いた頃には化粧を施され豪華なドレスを着せられて、アリアは一端の令嬢の装いをさせられていた。

「ふうん……。これはあいつが動揺するのも無理はないな」
「どういう意味ですか?」
「君は綺麗だってことさ」

 再び貴賓室で対面した男――シャルルは興味深そうにアリアを見つめる。

「えーと。それで、私はこれで帰っていいってことなんでしょうか?」
「いや、君にはもう暫くここに滞在してほしいんだ」
「は?なんでですか?」
 
 濡れ衣が晴らされたのならとっとと町に帰りたい。
 けれどシャルルは真剣な面持ちになると、アリアに向かって勢いよく頭を下げた。

「君には殿下に、恋の手ほどきをしてほしいんだ」
「はあぁ?!何言ってんですか?」

 突拍子もない提案にアリアは思わず大声を出した。
 
「あいつは君を見るなり真っ赤になって、胸を押さえて倒れたんだって?」
「まあ……そうですね」
「顔に血がのぼって胸の鼓動が激しくなるなんて、そんなの呪いのせいなんかじゃないさ」
「私もそう思います」

 見解は一致した。ならばアリアは無実の筈だ。なのにどうして王城に引き止められなければならないのだろう。
 首をひねっていると、シャルルはアリアに向かって一歩踏み出した。

「『その人を見た瞬間、身体に大きな衝撃が走った』だって?そんなフレーズ、僕は恋愛小説の一目惚れした時の描写でしか聞いたことがないよ」
「それは私もですけど……」

 けれど平民のアリアなんかに、畏れ多くも王太子殿下ともあろうお方が一目惚れなどするのだろうか?
 訝しげな思いが顔に出ていたのか、シャルルはキッパリと断言をする。

「あいつは生まれてこの方学問一筋。浮いた話なんか一つもないんだ。だから君に対するこの反応が『恋』によるものだって気づいてないんだよ」
「そんな……」
 
 馬鹿げた仮説だと言い切るには、シャルルの顔が真剣過ぎる。

「どうかお願いだ。学問ばかりで頭の固いあの朴念仁に『恋』とはどんなものなのかって、君が教えてやってもらえないだろうか?」

 ――とんでもないお願い事をされてしまった。
 アリアの動きが固まっていると、大きな音を立ててドアが乱暴に開かれた。

「おいっ!牢に入れていた女をどこにやった!」 
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