内緒でママになったのに、溺愛に目覚めた御曹司から逃れられない運命でした。

『ハロー』

 流暢な英語が、彼の口から次々発せられる。どうやら仕事の電話みたいだ。

(すぐ終わるかな?)

 ところが、藍里の予想に反して、電話は一向に終わらない。
 蒼佑はスマホを左耳に当てたまま、手もとのタブレットを何度も操作し、何事かを議論している。
 カステラを食べ終わると、藍里はすぐに手持ち無沙汰になった。

(邪魔しないように、こっそり戻ろう)

 ソファからゆっくり立ち上がり、足音を立てぬよう慎重に壁際まで歩く。
 そのまま壁伝いに廊下へ出ようと試みたとき、仮眠室の扉に手がかかる。半開きになった扉から思いもよらぬものがチラと見え、藍里は思わず足を止めた。

(まさか……)

 期待と興奮でやたらと心臓の音がうるさい。さらに力を加えたら、扉は簡単に開いた。

「う、そ……」

 藍里はその場に立ち尽くし、息を呑んだ。

(信じられない)

 シングルサイズのベッドと間接照明しかない小狭い空間に、唯一色彩をもたらすのは一枚の絵画。

 ――仮眠室には渚の母娘が飾られていた。

 よく似た別物である可能性もゼロではないが、藍里の五感は目の前の絵が本物だと訴えている。
< 104 / 187 >

この作品をシェア

pagetop