内緒でママになったのに、溺愛に目覚めた御曹司から逃れられない運命でした。
「驚いたか?」
絵の前で茫然としていると、後ろから急に話しかけられる。
仕事の電話を終えた蒼佑だ。
勝手に仮眠室に入ったというのに、彼は怒るどころか穏やかな笑みすら浮かべている。
「どうして渚の母娘の絵がここに?」
藍里は逸る心を落ち着かせながら尋ねた。
「二年ぐらい前かな。カフェのオーナーに頼み込んで譲ってもらったんだ。かなり渋られたが、どうしてもこの絵を手もとに置いておきたかった」
藍里にとって渚の母娘には家族との大切な思い出が詰まっているが、蒼佑からしたら無名の画家の絵でしかない。
渋る相手を説得してまで譲ってもらう理由なんて、どこにもないはずなのに。
「藍里」
蒼佑は藍里の名前を呼び、力強く抱き寄せると、耳もとでそっと囁いた。
「君を愛している。あの夜からずっと藍里が忘れられなかった」
切羽詰まったような淡い響きは、積もりに積もった年月の長さをたしかに感じさせた。
ポロリと涙がひとしずく藍里の目尻から流れ落ちる。
「脅すような真似をして無理やり結婚させて悪かった。でも、これからもずっと俺のそばにいてほしい」
蒼佑の願いと想いに触れ、藍里にも大きな感情の波が打ち寄せる。
(私だけじゃなかったんだ)
璃子がお腹の中にいるとわかったとき、本当は不安だった。
蒼佑にはもう結ばれるべき相手がいるのに、フィレンツェで過ごしたあの一日に縋る自分が情けなく、惨めに思えるときもあって。
それでも産むと決めたのは――。