内緒でママになったのに、溺愛に目覚めた御曹司から逃れられない運命でした。

「蒼佑くん!」

 彼の言葉の意味を考えていたら、片手を上げながら誰かがこちらに近づいてくる。
 蒼佑は藍里に耳打ちした。

猪口(いのぐち)建設の社長だ。今回のリニューアル工事の施工をお願いした」

 ふたりは顔を合わせるなり、固い握手を交わした。

「リニューアルオープンおめでとう」
「ありがとうございます。猪口社長のお力があってこそです」

 ひとしきり挨拶が終わると、猪口は蒼佑の隣に立つ藍里に視線を向けた。

「こちらの女性は?」
「妻の藍里です」
「初めまして。妻の藍里です」
「ああ、噂には聞いているよ。あの海老原画伯の娘さんだとか……」
「蒼佑さん」

 耳にべったりと張り付くほどの甘ったるい声が、突然会話に割り込んでくる。
 猪口から少し離れた後方にひとりの女性が立っていた。
 すらりとのびた手足、扇形に広がるゴージャスなまつ毛。
 エレガントなシャンパンゴールドのロングドレス姿の彼女が歩けば、静謐な美術館がファッションショーの会場に早変わりする。

(この人は……)

 藍里の心に暗い影が差し込む。これまでテレビや雑誌で彼女の活躍を眺めてきた。
 かつて蒼佑と結婚間近だと報道されていたインフルエンサー――猪口麗佳(いのぐちれいか)だ。
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