内緒でママになったのに、溺愛に目覚めた御曹司から逃れられない運命でした。
(蒼佑さんの言う通りだ)
藍里は今の仕事が好きだし、美術品に携わる職に就いていることを誇りに思っている。
だからこそ、思うように働けない現状が悔しく歯がゆかった。
「俺は藍里を応援している」
蒼佑はそう言うと、テーブル越しに藍里の目をしっかり捉えた。
その瞳には同情や慰めの色はなく、藍里の隠れた本心を優しく掬い上げてくれた。
(どうして忘れていたんだろう……)
初めて美術館に連れて行ってもらったときに感じた喜び。美しいものを目の前にした興奮。
父の絵の完成を心待ちにしていたあの頃の記憶がにわかに蘇ってくる。
蒼佑は藍里の根底にある気持ちを思い出させてくれた。
「ありがとうございます」
藍里はお礼を言い蒼佑に頭を下げると、黙って食事を再開した。
蒼佑の真っ直ぐな言葉が、すっかり自信を喪失していた藍里の心に染み渡る。
(出会って数時間の人に励まされるなんて、思ってもいなかったな)
食器と食具が擦れる音だけが、やたらとやかましく感じられた。