内緒でママになったのに、溺愛に目覚めた御曹司から逃れられない運命でした。
1.忘れられない一夜
「やっと着いた……」
スマホのナビを頼りにバスを乗り継ぐこと一時間。
木製の扉にぶら下げられたミントグレーの看板には筆記体で【Cafe mela】の文字と、まるまるとした青リンゴの絵が描かれている。
イタリア語でリンゴという意味を表す店名に、ふさわしい装いだ。
(そうだ。この看板だ)
なんとなく見覚えのある外観に、藍里の胸中に一気に懐かしさが押し寄せてくる。
どうやら、ここが探していたカフェで間違いなさそうだ。
ようやく目的地に着いた藍里はホッと胸を撫で下ろした。
慣れない外国ということもあって、すっかり道に迷ってしまったが、どうにか辿り着けた。
扉を開ける前に大きく息を吸い、興奮でトクトクと早鐘を打つ心臓を落ち着けていく。
日本と異なり湿気が少ない気候ではあるものの季節は夏を迎えたばかりで、身体はうっすらと汗をかいている。
ときおり吹く乾いた風が藍里のセミロングの黒髪をふわりと揺らし、身体の熱を気まぐれに冷ましてくれた。
ここは芸術の都フィレンツェ。
イタリア北部トスカーナ地方に位置し、ルネッサンス発祥の地として世に広く知られている。
ドゥオーモ、ミケランジェロ広場といった観光地を擁し、絵本から飛び出したようなカラフルな煉瓦造りの街並みと屋根のない美術館と称される歴史的建造物が共存する街。
そんな歴史ある街を藍里は一軒のカフェを探すためひとりで奔走していた。