悪女の私を、ご所望なのでしょう?
22-新たな人生のはじまり
卒業記念パーティーの数日後。
私は公爵家の屋敷の中庭で紅茶を飲みながら、あのパーティーの終幕を思い出していた。
結局その後、ディル殿下とメイベルさんは治安騎士に連れられて広間の外へ出て行き、無事に復讐を果たすことができた。
「さて、何をしようかしらね……」
しかしなんだかそれでやりきってしまったからなのか、ここ数日はぼーっとしていることが多かった。
ヨルダリオン殿下にサーフィッツ王国にご招待されたはいいものの、まずはサーフィッツ王国に何を学ぼうか、というところから始まる。
これまでたしかに家庭教師で様々なことを学びはすれど、専門的なことを学んだことはない。
勉学や知識というのは、あくまで教養として学んでいたから、いざ何かを専門的に学ぼうと思うと……
「とくに何もないわねぇ……」
思わずそう呟き、私はかちゃりとティーカップをソーサーへ置いた。
「ま、ゆっくり探せばいいんじゃないか?」
「そうよね…………え?」
ふいに独り言への返答があって顔を上げる。
「ヨルダリオン殿下!? いつの間に……」
「『さて、何をしようかしらね……』というところからかな」
見知った顔――ヨルダリオン殿下がいつの間にか対面に座って紅茶を飲んでいた。
音すらしなかったのに、いつからいたのよ……
「ごきげんよう、殿下。お迎えができなくて申し訳ございませんわ」
「いや、いいんだ。俺が無理言って先触れを出さずに訪ねたからな」
よく考えたらこの人、隣国の王子なのよね……
この数日、この国にいるみたいなのだけれど、お仕事とかは大丈夫なのかしら……?
そう思いながら目の前のヨルダリオン殿下を見ていると、彼はにこりと笑い返してきた。
「そういえば、今日はどういったご用件でしょう?」
「まぁ、とくに用件という用件はないんだが……強いて言うなら、あの二人の処遇のことを話しに」
「あぁ、なるほど!」
あの二人、というのはもちろん、ディル殿下とメイベルさんだ。
実はいまその件でお父様とお母様はとても忙しく、家になかなか帰ってこられない状況なのだ。
帰ってきはすれどどちらも疲れ果てているし、私が寝たあとに帰ってきて、私が起きる前に行ってしまうものだから、まともに話を聞けていなかった。
「君のご両親は中核の人間で忙しいからな。俺が代わりに伝えに来たというわけだ。ご両親はすごく申し訳なさそうにしていたよ。『エレーヌとおしゃべりできる時間が増えたのに~~~』って」
「ふふっ、お父様の真似ですわね」
思わず噴き出しそうになるのを、必死にこらえる。
きっとヨルダリオン殿下は、私を気遣ってくれたのだろう。
彼から聞いた話によると、まずディル殿下は王族特権を剝奪され、横領した分のお金を借金として持つことになるらしい。
そして平民として暮らしお金を返すことになるのだが、急に平民として働いて返せ、というのも難しい話なので、強制就労施設に行くことになるんだとか。
なかなか厳しい場所と聞くが、ディル殿下には頑張って働いてもらいたい。
ちなみにそれについては、他の貴族や平民たちにもこれから発表されるみたいで、王族が混乱をどう受け止めるのかを、他国は注視しているんだとか。
そしてメイベルさん自体は学園を退学処分させられ、横領の片棒を担いだことで罰金がかせられたそう。
とはいえメイベルさんご自身への罰金はさほどなく、むしろご実家のロドラーレル商会への罰金が凄まじいことになっているらしい。
「あそこの商会はもともと利益を少し多めに発表していてその実火の車だったからな……もうすぐ潰れるだろう」
ということらしい。
メイベルさんが罰金を払ったとて、学園に通えるような状況ではなくなったというのもあるが、学園でのメイベルさんの悪評もなぜか平民の中に流れたようなので、多少生きづらくなるだろう。
まぁ、私はディル殿下との婚約を破棄することができたし、ディル殿下にもメイベルさんにもやり返すことができたので、もう二人への未練はない。
「で、君は燃え尽きてしまったわけか」
「……おっしゃる通りですわ」
誰かのためにばかり生きてきて、自分のために生きるということをしなかった関係で、いまは完全に時間を持て余しているし、気力が湧いているわけでもない。
王子妃教育もなくなったし、学園を卒業したから日中も時間を持て余すことになり、ここ数日は毎日中庭で紅茶を飲みながら、侍女長に編み物を教えてもらっていた。
「……そうだなぁ」
「ヨルダリオン殿下?」
紅茶を飲み終えたヨルダリオン殿下は、ふむ、と考え始める。
少しの間彼は思案に耽り、それを私は紅茶をおかわりしながら見ていたのだが……
「よし、そうだ!」
「はい? …………えっ、きゃっ!?」
急に勢い良く立ち上がったかと思うと、ヨルダリオン殿下は私のそばまで来て、抱き上げたのだった。
「ちょっ、な、何を!?」
「エレーヌさん。こんな狭いところにいるだけじゃあ、気力なんて湧かないさ。外に出よう!」
この状況でどうしろと――そう文句を言う前に、ヨルダリオン殿下は私を横抱きにしたまま屋敷の外へと向かう。
「こ、これからどこに!?」
「それはもちろん、我が母国、サーフィッツ王国さ」
「え、今から!?」
「そうだとも。あぁそうだ、侍女長。エレーヌさんの服とかの用意を頼むよ」
「かしこまりました」
侍女長はとくに慌てる素振りもなく、ヨルダリオン殿下に頭を下げてサッといなくなる。
戸惑いと気恥ずかしさでなんとかヨルダリオン殿下から降りようとするも、彼は楽々と私を抱き上げ続けて下ろさなかった。
「君が頷くまで、抱き上げ続けるからな」
「もう、ヨルダリオン殿下!」
結局、彼は本当に私が頷くまで下ろしてくれなかった。
私は抱き上げられたまま王城まで赴くことになり、抱き上げられたままお母様とお父様にサーフィッツ王国へ向かうことになった、と報告することになってしまった。
正確に言うと、そう報告したのはヨルダリオン殿下なのだけれど。
そうして、私は本当にとくに何も目的などないままサーフィッツ王国へやってきてしまった。
しかももともとお母様やお父様が用意していたという住む場所は、まさかサーフィッツ王国の王城の一室。
「これで君のご両親も安心だ」
「…………」
ここまで、ヨルダリオン殿下に連れ去られたときから三日ほどしか経っていない。
思考がうまく回らないというのも仕方のない話だと思う。
「それに、俺も君を必死に口説くことができる」
「……っ、もう!」
ただし、彼が私の手の甲に口づけたことでやっと意識を取り戻し、私は彼を見上げた。
とはいえ、サーフィッツ王国に入った途端、視界がひらけたような気がしたのは本当だった。
サーフィッツ王国は、ノルシュタイン王国にくらべて南にあるので、植わっている木々や人々の服装が全然違う。
それに王城といっても堅牢なノルシュタイン王国とは異なり、どことなく開放的な雰囲気だ。
ここまではたしかに思考がふさがっているような気がしていたが、頭が軽快に働き始めた気はしていた。
――口説く、というのは……まだ慣れないけれど。
「でも、ありがとうございますわ」
「ん?」
素直に礼を言うと、ヨルダリオン殿下はなぜだかびっくりしたような表情で私を見下ろす。
「無理に連れてきてくれて、感謝いたしますわ。おかげで、やってみたことが見つかりそうです」
「あぁ……そっちか」
すぐに彼は眉尻を下げて額に手をやっていたが……何かあったのだろうか。
「まぁいいか。でも、急がずゆっくりやるといいよ。俺もゆっくりやるから」
「はい? えっと、ではお言葉に甘えさせていただきます」
彼の言葉の真意がわからず首を傾げる。
しかし時間もあることだし、ヨルダリオン殿下の言った通りゆっくりと見て回って、やってみたいことを探そう。
そう奮起した私は、すぐにサーフィッツ王国の美術館や下町などに繰り出すことにしたのだった。
――その後、ヨルダリオン殿下の怒涛のプロポーズと、いつの間にか外堀を埋められてしまったこと、そして獅子の冷酷な表情と溶かした令嬢、という評判が平民の間にまで広まったことで、彼の求婚に頷くことになってしまったのは、また別の話。
私は公爵家の屋敷の中庭で紅茶を飲みながら、あのパーティーの終幕を思い出していた。
結局その後、ディル殿下とメイベルさんは治安騎士に連れられて広間の外へ出て行き、無事に復讐を果たすことができた。
「さて、何をしようかしらね……」
しかしなんだかそれでやりきってしまったからなのか、ここ数日はぼーっとしていることが多かった。
ヨルダリオン殿下にサーフィッツ王国にご招待されたはいいものの、まずはサーフィッツ王国に何を学ぼうか、というところから始まる。
これまでたしかに家庭教師で様々なことを学びはすれど、専門的なことを学んだことはない。
勉学や知識というのは、あくまで教養として学んでいたから、いざ何かを専門的に学ぼうと思うと……
「とくに何もないわねぇ……」
思わずそう呟き、私はかちゃりとティーカップをソーサーへ置いた。
「ま、ゆっくり探せばいいんじゃないか?」
「そうよね…………え?」
ふいに独り言への返答があって顔を上げる。
「ヨルダリオン殿下!? いつの間に……」
「『さて、何をしようかしらね……』というところからかな」
見知った顔――ヨルダリオン殿下がいつの間にか対面に座って紅茶を飲んでいた。
音すらしなかったのに、いつからいたのよ……
「ごきげんよう、殿下。お迎えができなくて申し訳ございませんわ」
「いや、いいんだ。俺が無理言って先触れを出さずに訪ねたからな」
よく考えたらこの人、隣国の王子なのよね……
この数日、この国にいるみたいなのだけれど、お仕事とかは大丈夫なのかしら……?
そう思いながら目の前のヨルダリオン殿下を見ていると、彼はにこりと笑い返してきた。
「そういえば、今日はどういったご用件でしょう?」
「まぁ、とくに用件という用件はないんだが……強いて言うなら、あの二人の処遇のことを話しに」
「あぁ、なるほど!」
あの二人、というのはもちろん、ディル殿下とメイベルさんだ。
実はいまその件でお父様とお母様はとても忙しく、家になかなか帰ってこられない状況なのだ。
帰ってきはすれどどちらも疲れ果てているし、私が寝たあとに帰ってきて、私が起きる前に行ってしまうものだから、まともに話を聞けていなかった。
「君のご両親は中核の人間で忙しいからな。俺が代わりに伝えに来たというわけだ。ご両親はすごく申し訳なさそうにしていたよ。『エレーヌとおしゃべりできる時間が増えたのに~~~』って」
「ふふっ、お父様の真似ですわね」
思わず噴き出しそうになるのを、必死にこらえる。
きっとヨルダリオン殿下は、私を気遣ってくれたのだろう。
彼から聞いた話によると、まずディル殿下は王族特権を剝奪され、横領した分のお金を借金として持つことになるらしい。
そして平民として暮らしお金を返すことになるのだが、急に平民として働いて返せ、というのも難しい話なので、強制就労施設に行くことになるんだとか。
なかなか厳しい場所と聞くが、ディル殿下には頑張って働いてもらいたい。
ちなみにそれについては、他の貴族や平民たちにもこれから発表されるみたいで、王族が混乱をどう受け止めるのかを、他国は注視しているんだとか。
そしてメイベルさん自体は学園を退学処分させられ、横領の片棒を担いだことで罰金がかせられたそう。
とはいえメイベルさんご自身への罰金はさほどなく、むしろご実家のロドラーレル商会への罰金が凄まじいことになっているらしい。
「あそこの商会はもともと利益を少し多めに発表していてその実火の車だったからな……もうすぐ潰れるだろう」
ということらしい。
メイベルさんが罰金を払ったとて、学園に通えるような状況ではなくなったというのもあるが、学園でのメイベルさんの悪評もなぜか平民の中に流れたようなので、多少生きづらくなるだろう。
まぁ、私はディル殿下との婚約を破棄することができたし、ディル殿下にもメイベルさんにもやり返すことができたので、もう二人への未練はない。
「で、君は燃え尽きてしまったわけか」
「……おっしゃる通りですわ」
誰かのためにばかり生きてきて、自分のために生きるということをしなかった関係で、いまは完全に時間を持て余しているし、気力が湧いているわけでもない。
王子妃教育もなくなったし、学園を卒業したから日中も時間を持て余すことになり、ここ数日は毎日中庭で紅茶を飲みながら、侍女長に編み物を教えてもらっていた。
「……そうだなぁ」
「ヨルダリオン殿下?」
紅茶を飲み終えたヨルダリオン殿下は、ふむ、と考え始める。
少しの間彼は思案に耽り、それを私は紅茶をおかわりしながら見ていたのだが……
「よし、そうだ!」
「はい? …………えっ、きゃっ!?」
急に勢い良く立ち上がったかと思うと、ヨルダリオン殿下は私のそばまで来て、抱き上げたのだった。
「ちょっ、な、何を!?」
「エレーヌさん。こんな狭いところにいるだけじゃあ、気力なんて湧かないさ。外に出よう!」
この状況でどうしろと――そう文句を言う前に、ヨルダリオン殿下は私を横抱きにしたまま屋敷の外へと向かう。
「こ、これからどこに!?」
「それはもちろん、我が母国、サーフィッツ王国さ」
「え、今から!?」
「そうだとも。あぁそうだ、侍女長。エレーヌさんの服とかの用意を頼むよ」
「かしこまりました」
侍女長はとくに慌てる素振りもなく、ヨルダリオン殿下に頭を下げてサッといなくなる。
戸惑いと気恥ずかしさでなんとかヨルダリオン殿下から降りようとするも、彼は楽々と私を抱き上げ続けて下ろさなかった。
「君が頷くまで、抱き上げ続けるからな」
「もう、ヨルダリオン殿下!」
結局、彼は本当に私が頷くまで下ろしてくれなかった。
私は抱き上げられたまま王城まで赴くことになり、抱き上げられたままお母様とお父様にサーフィッツ王国へ向かうことになった、と報告することになってしまった。
正確に言うと、そう報告したのはヨルダリオン殿下なのだけれど。
そうして、私は本当にとくに何も目的などないままサーフィッツ王国へやってきてしまった。
しかももともとお母様やお父様が用意していたという住む場所は、まさかサーフィッツ王国の王城の一室。
「これで君のご両親も安心だ」
「…………」
ここまで、ヨルダリオン殿下に連れ去られたときから三日ほどしか経っていない。
思考がうまく回らないというのも仕方のない話だと思う。
「それに、俺も君を必死に口説くことができる」
「……っ、もう!」
ただし、彼が私の手の甲に口づけたことでやっと意識を取り戻し、私は彼を見上げた。
とはいえ、サーフィッツ王国に入った途端、視界がひらけたような気がしたのは本当だった。
サーフィッツ王国は、ノルシュタイン王国にくらべて南にあるので、植わっている木々や人々の服装が全然違う。
それに王城といっても堅牢なノルシュタイン王国とは異なり、どことなく開放的な雰囲気だ。
ここまではたしかに思考がふさがっているような気がしていたが、頭が軽快に働き始めた気はしていた。
――口説く、というのは……まだ慣れないけれど。
「でも、ありがとうございますわ」
「ん?」
素直に礼を言うと、ヨルダリオン殿下はなぜだかびっくりしたような表情で私を見下ろす。
「無理に連れてきてくれて、感謝いたしますわ。おかげで、やってみたことが見つかりそうです」
「あぁ……そっちか」
すぐに彼は眉尻を下げて額に手をやっていたが……何かあったのだろうか。
「まぁいいか。でも、急がずゆっくりやるといいよ。俺もゆっくりやるから」
「はい? えっと、ではお言葉に甘えさせていただきます」
彼の言葉の真意がわからず首を傾げる。
しかし時間もあることだし、ヨルダリオン殿下の言った通りゆっくりと見て回って、やってみたいことを探そう。
そう奮起した私は、すぐにサーフィッツ王国の美術館や下町などに繰り出すことにしたのだった。
――その後、ヨルダリオン殿下の怒涛のプロポーズと、いつの間にか外堀を埋められてしまったこと、そして獅子の冷酷な表情と溶かした令嬢、という評判が平民の間にまで広まったことで、彼の求婚に頷くことになってしまったのは、また別の話。

