あやまちは、あなたの腕の中で〜お見合い相手と結婚したくないので、純潔はあなたに捧げます〜
「診てもらえるか」

 低く落ち着いた声が、ひなの羞恥をやんわりと包み込んだ。
 そして彼がくるりと背を向けると、そこには思わず息を呑むほどの傷痕(きずあと)が刻まれていた。
 背を大きく斜めに走る、深く残る一筋の痕。
 おそらく、刀によるものだろう。
 
 ひなは、無意識のうちに手を伸ばし、その大きな傷痕にそっと触れた。
 その瞬間、慶一郎の肩がわずかに震える。

「……雨が、降りそうだな」
「えっ?」
「雨が近づくと、いつもこの傷が痛む。その痛みに、君の薬が効くんだ」

 言葉は淡々としていたが、そこに込められた信頼と感謝が、まっすぐにひなに届いた。

「そうなのですか……」

 ひなは唇を結び、小さく頷いた。

「薬を持ってきています。このまま、塗ってもよろしいですか?」
「ああ、頼む……」

 先ほどは、その大きな傷痕に驚いて思わず触れてしまったが、改めて元軍人である慶一郎の背中を目の前にして萎縮してしまう。
 
 今までに怪我人は何度も診てきたことがある。子どもの頃も父や母の後をついて、病人の家へ訪問したこともある。それでもひなは、痛々しい傷痕や苦しむ人の姿に慣れることなどなかった。一体どれほどの痛みだったのだろうと、想像するたびに、ぞわりと背筋が粟立つ。
 ひなは深く息を吸い、震える指で軟膏をとった。
 
「し、失礼いたします……」

 そっと傷口に軟膏を乗せた瞬間、慶一郎がわずかに息を吸い込んだのがわかった。
 そういえば、緊張のあまり自分の手が冷えていたことを思い出す。
 慌てて両手を合わせてこすり、少しでも温もりを戻そうとする。

 その様子を見ていた山根が、一歩前に出て声をかけてきた。

「……代わりましょうか?」

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