酒好きがバレて追放された元聖女ですが、不眠症の辺境伯様と【秘密の晩酌】はじめました 〜昼は冷徹、夜は甘々。ほろ酔い旦那様の執着愛が止まりません〜
 厨房にて。

 さて、まずは『種』づくり……。

 私が取り出したのは、リンゴの皮と芯だ。
 先日、シードルを作った時に出た残りカス。
 だが、ここには天然の酵母菌が眠っている。

 瓶にリンゴの皮と水、少量の砂糖を入れる。
 そして、聖女の力を注入。

「起きなさい、酵母ちゃんたち。貴方たちの力で、小麦に命を吹き込むのよ〜」

 金色の光が瓶を包む。
 通常なら数日かけてブクブクと泡立たせる工程を、魔力による早送りで完了させる。

 シュワシュワシュワ……。

 元気な酵母液の完成だ。

 これを、小麦粉、牛乳、砂糖、塩、そしてたっぷりのバターと混ぜ合わせる。
 力仕事だ。
 こねて、叩いて、またこねる。

 やがて、生地は滑らかになった。

 さて、ここからが本番。

 私は生地に手をかざした。
 聖女スキル『極・発酵』の発動だ。

 プクッ。
 プククッ……。

 生地がまるで生き物のように呼吸を始める。
 酵母が糖分を食べ、ガスを出し、生地を押し広げていく。
 みるみるうちに、ボウルいっぱいに膨れ上がった。

 これを型に入れて、石窯へGO!

 数十分後。

 厨房の空気が一変した。
 甘く、香ばしく、どこか懐かしい香り。

 完成!

 窯から取り出したのは、黄金色に輝く山型のパン。
 私が求めていた生食パンだ。

 熱々のそれを、手で二つに割ってみる。

 パリッ。
 ふわり……。

 薄い皮が弾け、中から真っ白な中身が現れる。
 湯気と共に、小麦の甘い香り。
 繊維が糸を引くように伸びる。
 それくらい、しっとりと柔らかい証拠だ。

「……ゴクリ」

 背後で、誰かが喉を鳴らした音がした。

 振り返ると、強面の料理長が仁王立ちしていた。

「奥様……それは、なんですかな? パンにしては、色が白すぎますが」

「食べてみます? 焼きたてですよ」

 私は千切ったパンを差し出した。

 料理長はパンを受け取る。
 そして、口へ運ぶ。

 ハフッ。

 咀嚼する動きが止まる。

「…………」

 沈黙。
 長い沈黙の後、彼は膝から崩れ落ちた。

「料理長!?」

「……雲だ」

 彼は震える声で呟いた。

「これはパンじゃねぇ……雲だ! 口に入れた瞬間、溶けて消えやがった!」

 大げさな……と思ったが、彼はさらに言葉をつづける。

「噛む必要がねぇ! なんだこの甘みは! ミルクと小麦が……もう……最高じゃねえか!」

 彼はその場で土下座の姿勢をとる。

「参りました……ッ! 俺が今まで作っていたのは、パンじゃなくて石ころでした! 師匠! いや、パンの神様! どうか作り方を教えてくだせぇ!」

「ちょ、頭を上げてください! ただの酵母の力ですから!」

 騒ぎを聞きつけた使用人たちも集まってきた。
 彼らにもパンを振る舞うと、厨房は感涙の嵐となった。

「柔らかい……!」
「これなら歯のない婆ちゃんにも食べさせられる!」

 みんな、黒パンにどれだけ苦しめられていたんだ。
 泣きながらパンを食べる大人たちの図は、なかなかシュールだった。
< 24 / 38 >

この作品をシェア

pagetop