弟矢 ―四神剣伝説―
――血に濡れた脇差を握り締め、乙矢は呆然と立ち尽くしていた。

『……どの、……乙矢殿っ!』


遠くから弓月の声が聞こえ、ようやく乙矢の意識は現実世界に戻ってくる。


『奴らは一旦引きました。本軍が戻らぬうちに、少しでも遠くへ逃げましょう。乙矢殿、あなたのおかげで助かりました。――ありがとうございます』


弓月は余程嬉しかったのか、頬を桜色に染め乙矢を見つめた。

だが、当の乙矢は、弓月に言われたことがすぐに理解できない。ふと気付くと、手は血塗れの脇差を掴んでいた。


『ひっ!』


乙矢は怯えたように声を上げ、慌てて放そうとする。だが、指が硬直して開かない。必死になって手を振り、その時、足元に転がる死体が目に入った。直後、崩れるように膝を突き……乙矢は吐いた。

弓月はそんな乙矢の背中に手を置き、優しく擦った。岩のように固まった手を、包み込むように撫でられ、やっと脇差は、乙矢の指から剥がれてくれた。


『俺は……人を、殺した……人を』


その場に座り込み、泣き始めた乙矢に、


『あなたのせいではありません。あなたは私を助けようとした。それだけなのです。降り掛かる火の粉を払った。それだけですから』


< 60 / 484 >

この作品をシェア

pagetop