この空のした。〜君たちは確かに生きていた〜
 


ここで武家の婦女子達は、それぞれ思い思いの行動に大きく分かれます。



入城して籠城戦に臨み、傷病者の看護や炊き出し、そして落ちてきた砲弾で火事を引き起こさぬようにと、水で濡らした布団や着物で火を消す『焼玉押さえ』など、身の危険をかえりみずたくましく働いた人達。


砲弾には榴弾(りゅうだん)(※到達すると炸裂する砲弾)と火災を引き起こすための焼玉があり、それを見誤ると、布団で押さえた途端に爆発してしまうという、かなり危険なものでした。


照姫(てるひめ)(※容保さまの義姉)さまの護衛をしようと、薙刀を手に近郊の坂下(ばんげ)まで赴いたのに、実は照姫さまはお城にいるとわかり、味方の兵に混ざって急遽 戦闘に加わり奮戦した、後世に娘子隊(じょうしたい)と呼ばれた人達もおりました。



そして 籠城戦の足手まといとならぬよう、敵方に捕われて辱めを受けないよう、自宅で自害する人達。

この例には、家老 西郷家一族の総勢二十一名もの自刃が有名な悲話となっておりますが、

そのほかにも自害した者は多く、

老女や幼子を抱えた藩士の妻女たちは、敵に殺されるよりはわが手でと、老女を介錯し、幼いわが子を刺したあと、自らものどを突くという凄惨な光景があちこちで起こったのでした。



時代の急速な変化を感じた者には 覚悟の自刃でしたでしょうが、それさえわからぬ年端もいかない子供たちにとっては、いくら母親と言えど、他者に命を潰されるなど、どれだけ恐ろしかったでしょうか。


そして 愛しいわが子の命を自分の手で断たなければならなかった母親のつらさは、どれほどのものだったでしょう。


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