紫陽花ロマンス
遠くの方から、何かが聴こえてきた気がする。
傘に打ち付ける耳鳴りのような雨音に、今にもかき消されてしまいそうなのに消えない音。だけど、雨音とは明らかに異質な音だということだけはわかった。
気のせい?
想像以上に、傘が壊れたショックが大きかったのかもしれない。
そう思いつつも、しつこく残響している音が気になって一歩踏み出すことができない。
また、聴こえた。
しかも、さっきより音が大きくなったように思える。
やっぱり気のせいではない。
とりあえず、振り向いた。
振り向かなければいけないような気がして。
そして、わかったこと。
音の正体は、私に向かって投げ掛けられた声だったのだと。
「すみません」
私に呼び掛けながら、大きな黒い傘を差した男性が駆け寄ってくる。
すらりとして背の高い、若い男性。若いといっても、私と同じくらいに見える。
薄い水色のカッターシャツに黒いスラックスから、ひと目見てビジネスマンだということだけはわかった。