三十路で初恋、仕切り直します。

月曜の夜から法資と一緒に過ごした時間は、泰菜にとってかけがえのない時間だった。




日中は仕事へ行くから、一緒に過ごせる時間は帰宅後のみだったけれど、法資は家で待つ間に資格試験の勉強をしたり、食事の支度をしたりして待っていてくれた。


木曜日には半休を貰って、ふたりで買出しに行ってふたりで台所に立ち、どんな具材を入れるか言い合いながらお鍋を作った。野菜の切り方があまりにも大雑把だったことに笑い合いながら、卓袱台の上に乗せたお鍋を囲んでお腹いっぱい食べた。


狭い旧式の風呂釜に無理やり二人で入ったときは、そのあまりの窮屈さに照れよりも可笑しさが込みあげてきて腹が捩れそうになるくらい笑い合った。


家が寒くてすぐに熱を奪われる湯上りは大嫌いだったのに、その後で二人で体をくっつけて同じ布団で寝る有難さが余計に沁みるから寒さすらすごくしあわせに感じられた。



二人でいることが、毎日たまらなくたのしかった。



生活の中に当たり前のように法資がいることに、すこしも違和感を感じなかった。法資と過ごした数日間、誰かが自分に寄り添ってくれるという特別なことが、ごく自然なこととして自分の生活に馴染んでいた。


生まれて初めて感じた、心も体も隅々まで満たすような幸福はもうすでに自分の一部のように泰菜に溶け込んでいるというのに、法資が出国する今日、それが自分から引き剥がされてしまうのだ。


幸福な時間はあまりにもあっという間に過ぎてしまった。



---------もっと平気な顔していられると思っていたのに。



満たされているからこそ、今まで一人で広い一軒家で寝起きしていた自分が、ほんとうはひどく寂しく孤独な気持ちを抱えていたのだということにも気付かされてしまった。


たった数日でも法資との生活を知った後では、その寂しさはより深くなってしまうだろう。




離れたくない、見送らなければいけないなんて嫌だと、押さえ込んでいた気持ちが今になって溢れてくる。それが堪えようとしても涙になってこぼれてしまう。




「おまえなあ。一生分なんて大げさだな。どんだけ俺好きなんだよ」


呆れるようにいう法資も、まるで片時も傍を離れないというように今日は桃庵を出たときからずっと手を繋いでいた。恋人に対してもっとクールなタイプだとばかり思っていたから、思いがけない態度に戸惑いつつもうれしかった。



--------ああ、自分はこのひとのことがほんとうに好きなんだなぁ。



そう思いながら見つめるうちに、磁力が引き合うように言葉よりもずっと雄弁な唇が近付いてきた。ただそうすることが当然のことのように、自然と重り合う。



こんな往来のあるところで恥ずかしいとか見苦しいとか、いい年して公共の場で何してるんだとか、そんなことは後になってから思うこと。



ただその瞬間は後先考えずに、ただそうせずにはいられない衝動があることを、そんな切ない感傷があるのを32歳にして初めて知った。





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