三十路で初恋、仕切り直します。
「素顔も見せねぇで化粧で固めて気取ってる女よかマシだろ」
経験からくる言葉なんだということが容易に察せられる、その実感のこもった言い方に、思わず苦笑してしまう。
「あのねぇ、本当女心が分からない奴ね、法資って。いくら恋人だからって法資みたいな男になんの抵抗も無くスッピン晒せるひとなんて、たとえ地が美人でもなかなかいないって」
「ここにたいした美人でもないのに堂々と晒してるのもいるけどな?」
「文句あるなら他の女の子と来なさいよ、温泉なんて」
「連れてきてもらっておいて文句いうな。けどおまえ、今日のケバい化粧だったらそっちのがまだマシだぞ」
そういってなんの化粧もしていない泰菜の顔を指差してくる。
「え、うそ。そんなヤバかった?すっぴんのがマシなくらい?!」
汗まみれで化粧がすぐ崩れる職場では日焼け止めとパウダーをはたくくらいのナチュラルメイクしかしておらず、就職してからろくにすることもなかったメイクの腕には正直まったく自信がなかった。
自分なりに雑誌を見て研究して頑張ったつもりだったけれど、数々の美女と付き合ってきて自分よりよほど審美眼のありそうな法資がいうのだから、やっぱり今日のメイクは駄目だったのだろうか。
「メイクって自分じゃ上手いか下手かいまいちわかんないんだもん。わたしセンスないし、みんなも変な顔とか思ってたのかなぁ……」
「変っていうか。目のとこいろいろ塗りたくって、男に媚びたみたいな化粧だったろ。ああいうのお前には似合わない」
「アイメイクのこと?」
たしかにいつもよりアイラインをしっかり入れてマスカラもばっちり厚めにして、目元を強調したメイクをしていた。元彼からはデートのとき、きちんと今日のようなメイクをしていったときのほうがウケがよかった。
つまりは化粧の仕方が上手い下手という問題と言うより、法資の好みが派手めの女優系メイクより、清純系のナチュラルメイクだということだろうか。
法資が付き合っていた歴代の彼女たちはどちらかというと華やかな顔立ちのゴージャスな美人ばかりだったので少し意外だった。
「終わったな……個室取ってあるからそっち行くか」
急に会話を切り上げて法資が立ち上がった。
「個室?」
「お茶飲んだり仮眠出来る部屋だとさ」
「ああ、なんだ。さっき言ってた貸しきりの休憩室のこと?」
「ホテルの部屋じゃなくてご不満か?」
「-------なっ、ば、なに言って」
慌てて立ち上がって法資をどついてやろうとすると、『リフレッシュルーム』に入室してきたばかりの人と肩がぶつかってしまう。
「わっ……ごめんなさい……!」
「いいえ……あら」
ぶつかったのは、先ほどお風呂で一緒になったご婦人だった。驚いてすこしの間互いに見詰め合ってしまう。そうしている間に法資が通路を塞いでいた泰菜をぐっと自分の方に引き寄せながら、
「すみません不注意で」
と謝意を口にする。婦人は法資の顔をじっと見たあと、相好を崩して泰菜に笑いかけてきた。
「まあいい男、こちらが旦那さま?」
夫婦でも恋人同士でもないが、だったらこんな深夜に男女で温泉に入りにくるなんてどんな仲だと思われるだろうかと思い、軽くパニックを起こして答えかねていると、婦人は泰菜たちを見てふふっと含みのある笑いを浮かべる。
「ほんとに素敵な人ね、羨ましいわ。折角だから一緒に入っちゃえばよかったのに。温泉は夫婦水入らずもいいものよ?」
無責任にもそんなことを言い残して去って行った。