三十路で初恋、仕切り直します。

「ンだ、あのクソ女。相原にさんざん面倒見てもらってあの態度かよ」


一部始終を背後で見届けていたらしい班長の田子が、いかにも忌々しげに言う。


「はいはい、班長には関係ないでしょ」
「どこまで人が好いんだよ、お前は。どうせあの小娘に男寝取られた仕返しもしてねぇんだろ」


思わず抱えていた大事なポリ箱を落としそうになる。


「っとあっぶねぇだろが、この馬鹿ッ」
「す、すみません……」



泰菜の先輩で現在は課長職に就くオサムと付き合っていたことは、社内で秘密にしていたつもりだったけれど、気付く人は気付いていたらしい。

こんな人の機微に大雑把そうな田子にも気付かれていたなんて、これが人生経験の差、年の功というやつなのだろうか。



「てめぇのオトコの浮気相手だった女にやさしく出来るたぁ、おまえはよっぽどの人格者か薄気味悪い変人かのどっちかだな」
「……田子さん。それはともかく気付いてても口にしちゃいけないことってあるでしょ」

「お。やっぱおまえ長武(オサム)とデキてたのか。あれほど俺があのタラシ野郎に気ぃつけろって教えてやってたのに。……でもま、別の男に求婚されたってなら上等じゃねぇか。長武よりいい男なのか?」

「そうですね、一流企業のエリートさんで、贔屓目に見ても課長より顔立ちの整ったいい男ですよ。断りましたけど」


ポリ箱を積んだカートを押して工場内を歩き出すと、慌てた様子で班長が追ってくる。


「お、おま、断ったって言ったか?」
「……班長。そろそろ持ち場帰らないと」
「どうしてだ、長武に未練あんのかよ」


男と言うのはどうしてこうも同じことばかり訊いてくるのだろうとやや鬱陶しく思いながら、でもここで答えておかないといつまでも引っ付いてくるであろうしつこい班長の性格に諦めを感じて言った。


「課長のことは関係ありません。再会してたった二日目のプロポーズだったからです。さすがに真剣さが感じられないでしょ」
「……んだよ、馬鹿かおまえ」


田子はどうしようもなく出来の悪い生徒を見るような顔をする。


「ば……馬鹿?わたしがですか?」
「嫁き遅れのクセに何気取ってんだかよ、お高く留まりやがって」


違う。そんなつもりはなかった。けれどもしかしたら法資はそう感じたかもしれない……。


「……本気だって受け取るほうがどうかしてますよ」
「相手の男にちゃぁんと訊いてみたのか?そいつだってハナっから本気疑われんの覚悟で言ったんじゃねぇのか?それをよぉ、てめぇの見栄だプライドだ、そんなもんのために一世一代の男の見せ場を台無しにしやがって。そんなんだからおめぇはいつまでたっても嫁に行けねぇんだよ」


田子の言葉が鋭く胸に突き刺さる。その理由が自分でもうまく理解出来ない。


「……でも、本気ならなおのこと慎重になるもんじゃないですか?」
「阿呆が。男にとって思い立ったその日がプロポーズ日和なんだよ、女みてぇにぐちゃぐちゃ細けぇこと考えるかっつの。俺なんかなァ、2日どころか初めて会って20分もしないうちに女房に結婚申し込んだぞ?」


思わず立ち止まってしまう。就業中に話し込んでしまうわけにはいかないのに、田子の話にひどく興味をそそられる。そんな泰菜に気付いた様子で、わざとらしく「お。丁度良く15分休憩だな」と腕時計を見ながら田子が言った。


「相原。俺ァ喫煙所に行ってくるけどおまえもついてくるか?」

ほんの一瞬だけ悩んだ末。

「……お供させていただきます」


週明けの午前中、ゆっくり話しているような時間はないと分かっていたが、あっさり好奇心の白旗を上げて泰菜は田子の後をついていった。





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