三十路で初恋、仕切り直します。
『男の子と付き合うの、津田くんが初めてだよ』
津田と付き合い始めて3ヵ月ほど経った頃。
何がきっかけだったのか、津田と泰菜は過去に好きになった相手のことや付き合った人のことを話題にしていた。
泰菜が近所に住む英達に玉砕したことを話すと、津田が『そのお兄さん以外で好きになったひととかいないの?』と訊いてくるから正直に答えていた。
『うーん、いないかな』
そう答える途中で、いきなり津田が屈み込んできたかと思ったら、次の瞬間にはくちびるがちょこん、と触れていた。
付き合い始めてからずっと下校時に手を繋いで歩く程度しか恋人らしいことをしていなかったから、いきなりのキスには驚いた。
ちなみに津田とキスしたのも、後にも先にもこの一度きりだ。後から美玲や杏奈から聞いた話だと付き合っていた半年の間にキス一度きりなんていうのは普通ありえないことらしい。
でも泰菜は津田はとても居心地のいい相手でまるで同性の友達のように寛いだ気分で付き合っていたから、それが不自然なことだったとは当時は気付かなかった。
津田が彼氏だということはちょっと自慢に思えることもあったけど、正直胸が焦がれるような気分になったことがなかったためか、自分から津田とキスしたいとか触れてみたいとか、そういう欲求を抱いたことがなかったのだ。
けれどキスの後でいたずらっぽく笑いかけてきた津田には、ちょっとだけどきりとした。
『じゃあたーちゃん、今のが初めてだったりする?』
その言葉に、自分がなんて言って返したのかは覚えていない。けれど適当な言葉を言いながら頷いていたのだと思う。
16のときに吐いたその拙い嘘は、頭のいい津田には見抜かれていたらしい。見抜いておきながら、あの頃の津田は泰菜の嘘を責めたりはせず、嘘に気付く素振りもみせずに泰菜の傍にいてくれたのだ。その相手が法資であると、きっと津田は知っていただろうに。
「なんか酔ってるみたいだ。ごめん、なんか俺ちょっと大人げないこと言ったね」
今も津田はわざわざ過去のことを蒸し返して泰菜から謝罪の言葉を引き出したいとか、当時の泰菜の言い分を聞いてやろうとか、そういう意地の悪い意図がないことだけは、すまなさそうな顔をする津田を見れば分かる。
「……ううん」
自分だって過去のことを責めたくて法資にあのキスのことを話した訳じゃなかったから、うっかり口を滑らした津田の気持ちは分かる気がした。
自分が法資の仕打ちに傷つけられたように、もしかしたら自分の吐いた嘘が当時津田を傷つけたのかもしれない。そんな考えが脳裏を過ぎり、心の中だけで当時の津田に「ごめんなさい」と謝っていると、不意に座卓の上にある携帯が着信を示して震えだす。
津田の携帯だ。
津田はちらりと画面を覗き込むと、電話には出ないでそのまま放置する。その間にも、携帯は執拗に鳴り続ける。「出なくていいの?」と訊いても津田は曖昧に笑うだけだ。
「奥さんからじゃないの?出ないとまずいんじゃない?」
「いや。うちの菜々子さんは俺が出張しようが帰りが遅かろうがわざわざ連絡寄越してこないよ」
「ふぅん。信頼されてるのね」
「……まあ普通はそう思うよね」
津田が無意識なのか、なにも嵌っていない自分の薬指にちらりと視線を落とした。