三十路で初恋、仕切り直します。

「駄目だってば、たーちゃん!」


店から少し離れたところにある駐車場までやってくると、停めていたチョコレート色の車に乗り込もうとする泰菜を津田が腕を引いて止める。

トミタ自動車が女性ユーザーを意識して開発したそのコンパクトカーは、職に就くなら車を持っていることが必須条件のこの町で就職活動をはじめたとき、ローンを組んで買ったものだった。


「さっきまで飲んでたんだから。飲酒運転は絶対だめだって」
「飲んでたのはウーロン茶よ」
「……たーちゃん、実はすっごい酔ってる?君が飲んでたのはウーロンハイじゃん」

「処世術よ。ウーロンハイって頼んだふりしてウーロン茶に変えてもらってたの。どのお店でも出来ることじゃないけど、ここのお店の店員の仲野ちゃんとは顔見知りでね。最初にお手洗いに立ったとき、こっそりお願いしておいたの。だから飲んでたのは二杯目も三杯目もただのお茶よ?」

「なるほど。店員さんを抱きこんでたのか」


感心したように津田が言う。


「そうよ。まともに班長に付き合ってたら肝臓壊しちゃうもの」
「ほんと逞しいねぇ、社会人になったたーちゃんは」

「金曜の飲み会なら諦めて付き合うけど、月曜の初っ端から車置いて帰りたくないもの。今日来て分かったと思うけど、うちの工場は車通勤が基本でその他の交通手段なんてパートさんたちでもみくちゃになる社バスだけだもの」


そう言って泰菜は車に乗り込もうとするが、津田はなにやら微妙な顔をする。


「どうしたの?」
「……えっと。俺も乗っていいの?」


何か問題でもあるのだろうか。「どういう意味?」と聞き返すと津田は諦めたような溜息をつく。


「……結婚しているとはいえ、俺だって一応さ……」


なにやらぼやきながら助手席に乗り込んでくる。


「一応、何?」
「いや、だからさ。つまりですね、自分の車とはいえ、この遅い時間に男と二人きりの密室だよ?……怖くないの?」
「知らない人ならね。でも津田くんだもの」


間違いなど起きようもないと含めた言い方をすると、「なんだよその無闇な信頼は。たーちゃんって相変わらず危なっかしいよな」と津田は困ったように頭を搔いた。


「ところで用事って何?これからどこへ向かうの?」
「わたしの家」


泰菜の返答に津田が絶句したので、笑ってしまう。


「分かってると思うけど、変な意図はないから心配しないでね」
「この場合、心配しなきゃいけないのは女の子の方だと思うんですけど」

「今日はね、一緒に住んでた祖父の月命日なのよ。うっかり忘れててお花は買えなかったけど、日付が変わる前に仲野ちゃんが持たせてくれた焼き鳥と、お祖父ちゃんが好きだったカップ酒の買い置きくらいはお供えしておこうと思って。それが済んだら愚痴でも何でも聞きますとも」


泰菜の言葉に、津田が静かに笑い出す。


「……さすがにそんなおじいちゃん孝行ないい話聞かされると、変な気も起こせなくなるね」
「起こす気もないくせに何言ってるのよ」


ほとんど車も通らない、街灯も少ない夜道を車は進んでいく。





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