三十路で初恋、仕切り直します。
「面白かったな、あのときの桃木。いつもは俺が電話しても『野郎同士でテレビ電話とか気色悪いんだよ』とか言うのに、俺相手に片手でお酒引っ掛けながらすごい上機嫌に笑っててさ」
そのときのことを思い出してか、津田がくすくす笑い出す。
「桃木が海外行くようになってからは、連絡手段にスカイプ使っててね。知ってる?スカイプって」
使ったこともないし詳しくは知らないけれど、ネット回線使った無料の通話サービスだということくらいは知っていた。弥生とアレンが結婚前に一時日本と台湾との遠距離恋愛になったとき、『毎日スカイプで顔を合わせている』と聞いたことがあった。
「俺から掛けることがあっても桃木から連絡くれたことなんて一度もなかったのにさ。その日はあいつの方からスカイプ繋げてきてね、平日の日付の変わるような遅い時間だったから、俺何事かとビビりながら出たんだよ。そしたらさ、桃木の奴、まるでノロケのようにたーちゃんのこと、俺に誇らしげに自慢してきたんだよ?」
法資は一連の『間違い電話事件』のことを、上司の鈴木からたまたま世間話のついでに聞いたのだという。対応した静岡工場の『アイハラタイナ』という事務員が自分の幼馴染だとすぐに気が付いたらしい。
「たーちゃん、苗字はともかくタイナって名前は珍しいからね。しかも桃木のやつ、一応本社の人事部にいる結城っていう俺らの同期に裏も取ったらしいんだ」
静岡工場の『アイハラ』が自分と同い年で静岡にある四大の英文科出てる女子社員だと知って、それが泰菜であると確信したのだという。
「俺だけじゃなくて同じ会社にたーちゃんまでいたこと知って少し驚いてたけど、『室長が話してたアイハラって泰菜のことで間違いねぇよ』って言った桃木、すごくうれしそうでね。『あいつは昔から目立たないところで地味に頑張ってるような奴なんだよ』ってさ、なんか自分のことのように自慢げに話してね」
忘れようと思っていた、別れ際に見た法資のやわらかな笑み。
それが津田が言葉を重ねるごとに、鮮明に思い出されてしまう。そのたびに、今朝からやるせないむなしさが巣くっていた空っぽの胸に、なにか痛みのようなものが満ちていくのを感じる。
「……津田くん、もういいよ。そんな昔のこと」
「桃木はさ、上司の鈴木室長のことを慕ってるみたいでさ」
「津田くんってば」
「その室長がたーちゃん褒めてたことがよほど嬉しかったみたいだよ。誰かに言わずにはいられなかったんだろうね。それで俺に」
「--------もうやめて」
法資と別れた日に、時間は撒き戻せない。遠く離れていったものには手は届かない。だからもう法資のことなんて聞きたくない。やっぱりあの別れ方は間違いだったのかと、今更どうすることも出来ないのに後ろに振り返りたくなんてない。
それでも津田は執拗に言葉を続ける。
「桃木のやつも馬鹿だよね。高校のとき、たーちゃんに意地悪みたいなキスなんかしてないで、たーちゃんにあんな顔見せてればよかったのに」
そこで話が途切れると、再び沈黙が続く。
静かな県道を行く車のエンジン音だけが、妙に耳に迫って聞こえる。
「ねえ。たーちゃん、たーちゃんはさ、これ以上何が足らないっていうの?」