三十路で初恋、仕切り直します。
「色気のねぇ悲鳴だな」
そういって法資がせせら笑う。
そんなものあってどうするのよ、と言ってやりたいのに、法資が無理やり自分の体の上に乗り上げてくるから、あまりの驚きと困惑でうまく口を開けない。
「ちょ、重いよ法資。何する気よ」
「俺もおまえに訊きたいな。迂闊に独り暮らしの家に招き入れて、津田にこういうことされそうになったらお前どうするつもりだったんだ?どうせおまえのことだ、何も考えてなかったんだろう」
冴え冴えとした目でそう言うと法資は憤懣やるかたなさそうに「だからお前は馬鹿なんだよ」と漏らす。法資に馬鹿だと言われることは今までに何度もあったけれど、こんな辛辣に言われるのは初めてのことだった。
「どうせ。……どうせわたしは馬鹿よ」
「そうだよ、おまえなんて自分が女だって意識に欠けた警戒心ゼロの馬鹿だ。たいして美人でもないしモテるわけでもない、どこにでもいるような女のくせに」
泰菜の上に圧し掛かったまま、わずかに顔を上気させた法資は言いたい放題に言ってくる。
「そのくせいつもいつも勝手に俺の視界のど真ん中に居座りやがって。そういうおまえの存在が、俺はずっと鬱陶しかった。俺に全く興味ないって顔で、俺とどんどん疎遠になっていっても少しも気に留めないでいるおまえが、心底許し難かったんだよッ」
言うだけいうと、法資は苛立ちをぶつけるようにばん、と畳に手をつく。
「……何よ、その勝手な言い分」
「勝手で悪かったな」
「全部、わたしが悪いって言うの?」
「悪いっつったらおまえはどうするんだよ」
上から被さってきた法資の唇が唐突に自分のそれに重なる。法資はすぐに離すと、
「ざまーみろ。気安く独り暮らしの家に男入れてんじゃねぇよ馬鹿」
苛立ちを隠さぬ目で泰菜を見下ろしながら言った。
「……別に誰でもってわけじゃない」
「だったら俺はなんだよ。おまえにとって『そういうこと』が起こり得ない、男の範疇にも入らないような絶対安全圏の生き物ってわけか?俺はおまえの中じゃ永久に『男』だって認識されないような存在なのか?」
ふざけんなよと呟いた法資が不意におでこに触れてくる。
長くて男らしい骨っぽさのあるその指が皮膚に掠るかどうかというところで意味ありげに行き来する。そのきわどい触れ方に、ただ額に触れられているだけのはずなのに腹の底にざわつくような奇妙な熱が篭っていく。
「……やめて、法資」
背中がぞくぞく粟立っていくような慣れない感触に、身を捩って抵抗しようとしても法資に「知るかよ」と冷たく吐き捨てられる。
目の前にある法資の目は冷ややかなようでいて、その奥の隠れた場所に滾るような熱を抱えているようだった。その目を見ているだけで泰菜の胸も炙られたように熱を帯びていく。
法資は泰菜を見下ろすと、「自分で家に上げておいて調子がいいんだよ」と言ってデコピンをしてくる。痛くなかった。まるでいとおしんで小突いてくるようなそれだった。不意のことで泰菜は目を見開いて法資を見てしまう。
今のやさしい触れ方の意味はなんだと目だけで問うと、法資は笑いながら答える。
「おまえが俺をどう思おうが、生憎俺はおまえの都合なんて知ったことじゃない。……俺はな、お前のことが好きなんだよ」
泰菜の唇にもういちど自分の唇を押し当ててから、法資は悔しそうに顔を歪めて苦笑した。
「多分、自分で思うよりもずっと前からな」