御曹司は身代わり秘書を溺愛しています
三十分ほどして、父が厨房から出てきた。
ここではなんだからと、商店街の中にある喫茶店にみんなで移動することになった。
店がある細い路地から大通りにでた、その時だった。
さっと現れた人影が、思いもよらぬ素早さで父の体を羽交い絞めにする。
突然のことに体が動かない。そしてその男の顔を見て、さらに頭が真っ白になった。
康弘さんだ。
康弘さんは父の首に後ろから手を回し、片方の手には白く光るものを持っている。それが刃物だと気づき、血の気が引いた。
「騒がないでください。……社長、お久しぶりです」
康弘さんは三日前よりさらに顔色が悪く、もう立っているのがやっとという状態だった。
掴みかかろうとする陸を押しとどめた怜人さまが、ゆっくり歩み寄ると、「近づくと社長の命は保障しない」と冷徹に言い放つ。
その聞き慣れた冷静な声色に、やはりこの人は長年苦楽を共にした人なのだと、今更のように実感した。
強い精神力と忍耐力。それに目的のためなら手段を厭わない強引さ。
彼のことなら何でも理解できるだけに、それが脅しでないことがすぐに分かった。
私たちに薄氷を踏むような緊張感が漂うのとは対照的に、当の父は一向に動じない。
「暴走抑止のマニュアルが開けられないんだろ」
と面白そうにいった父に向かい、
「パスワードを教えていただけませんか」
と康弘さんは抑揚のない声で言った。