ハッピークライシス
「シホ?」
物思いに耽り視線を爪先に落としていれば、ユエが心配そうに名前を呼ぶ。
ごめん、なんでもない。ギュッと手を握り返すことで伝え、誤魔化すように壁画を見上げた。昔の修道院がそのまま美術館になっており、そこに描かれているのは全て、かつて修道僧だった男が壁に描いたフラスコ画だ。
花の咲き誇る中庭の廻廊を静かに歩きながら、僧坊に描かれた絵を一つ一つ鑑賞していく。
「・・・綺麗」
最奥の部屋にたどり着いたとき、思わず息を呑んでいた。ユエは、真っ直ぐに絵を見上げながら小さく頷く。
受胎告知。
光に照らされた壁一面に描かれたそれに、まるで吸い寄せられるように一歩、また一歩と近づく。
聖母マリアと天使ガブリエル。
汚れなく清廉、厳かな空気が漂うその場所に、ひっそりと描かれた壁画からシホは目が離せなかった。